2011年04月16日

■今回の選挙戦では、遊説カーは使いません。

本文とは直接関係のない写真ですね。

公明党清瀬市議団として、選挙カーは使しないことにしました。
今回の震災を踏まえ、被災地ではガソリンが不足していることや、公費をこんな形で使うよりも係る費用は最小限にし、むしろ被災地にできることを考えた方が良いとの考えからです。

今回、清瀬では33名の立候補者が予定されています。遊説カーだけでも一人約25万円。ポスターなどすべて含めれば約50万円のお金がかかります。総額1650万円の節約ができるのです。

3月下旬に清瀬市公明党は、遊説カーの自粛を清瀬市議会各会派に提案しました。しかし最終的には各自で判断という形になりました。

私たちのこの呼びかけに、某党はパフォーマンスであると批判し、先の都知事選でも遊説活動をしながら募金をしていましたが、私たち公明党は、党として全国の党員さんに機関誌を通じて募金を呼びかけ、総額5億円を既に寄付しています。
※その後、義援金の寄付は、5/11現在、7億円になっています()。
党として義援金を集めたいならば、まずは自らから募ってはいかがでしょうか。

何はともあれ、百の理屈よりもひとつの行動が大事です。
※参考 崢日新聞記事」
※参考◆崗平市議会議員・立花隆一さんのブログ」


明日から、いよいよ選挙戦です。
皆様にお会いするのが楽しみです。頑張ります!!  

Posted by takosuzuki │ ■活動日誌/BLOG 

2011年04月15日

■震災に備えて

防災対策ビラ

震災後、ご挨拶回りをしながら市民の皆様に強くお訴えしているのは、以下の点です。

,泙困呂寛搬牡屬婆技を確認しあう、連絡方法を確認しておく。→電話、携帯は不通になります。メールも遅れるようです。
その意味では私も再三申し上げていますが、ツイッターは有効です。また、災害伝言ダイヤルも是非活用してください。
■録音171→1→ご自宅の電話番号(市外局番から)
■再生171→2→ご自宅の電話番号(市外局番から)

△爐笋澆乏阿鉾瑤喀个気此M匹譴収まってから火の始末を。→今回清瀬では震度5弱。都内では震度5強。いずれも東京では建物の倒壊はありませんでした。震災地である宮城や福島でも建物の倒壊はほとんど聞かれませんでした。
その意味では、清瀬ではすぐに倒壊の恐れのある建物はほとんどありません。大きな地震が来ても、まず建物は大丈夫。それよりも家の中で家具などの転倒防止をしておきましょう。
■震災に備えて家の中の注意
・家具の転倒防止は、チェーンタイプはダメです。阪神淡路の震災では、簡単に引きちぎれ転倒しました。天井ツッパリタイプのものにしましょう。
・食器棚などは揺れで扉が開いて食器が落ちないようにしておきましょう。阪神淡路では、家の中で割れた食器の破片が散乱し、足を怪我したケースが多かったようです。

それから、清瀬においては住宅密集地帯はそんなにはないのですが、何しろ二次災害として火事が最も怖い。倒壊による死者は少なくとも、その後の火事によって死者が出ることが想定されます。揺れが収まってから、必ず火の始末をしましょう。

何しろ取り合えずとして、以上2点を申し上げています。
当然清瀬は津波の被害はない訳ですから、大惨事を避ける意味では、上記の火事、もうひとつは放射能汚染です。
東海大地震の起きた場合、静岡の浜岡原発がとうなっているか、この点が最重要です。ラジオやツイッターなどで、最新の情報に注意しましょう。その意味で、市の防災無線の不備を解消しておきます。迅速に市民一人ひとりがどう行動したらよいか、アナウンスが大事です。

もっと大事なことは、日頃から私たち市民一人ひとりが、防災意識を高め、それに備えていくことです。

喉もと過ぎればにならないうちに、今から再点検をしましょう。  

Posted by takosuzuki │ ■活動日誌/BLOG 

2011年04月14日

■原子力発電について

脱原発
今回の震災を受けて、公明党としては「全国にある原発の安全性の総点検」を強く訴えています。

私自身も、特に浜岡原発は予想される東海大地震の震源地の真上にあることもあり、即時の停止と点検が必要と考えています。

この震災後、様々なテレビ番組で虚実様々な解説をする方がいますが、その中で信頼数少ない信頼できる原子力の専門家・武田邦彦さんの書かれた「偽善エネルギー」という本を読み、現時点における原子力発電の必要性や安全な運用方法など理解しました。

しかしながら、武田教授自身もこの本で書かれているように、いくら安全な運用があるとは言え、それを作っている人間の側に不備があり過ぎる。つまり、危険を想定しそれに備えなければならない人間が、必ず起こるべき危険を想定しない。そしてその危険が起こると想定外であると言う。こうした人たちの運用する現在の原発は非常に危険であると言えます。

原子力発電は、資源のない日本にとってとても有効な発電です。しかしながら、安全な運用を確立し得ない今の体制では、即刻やめるべきですし、総点検を行うのは当然のことです。

その上で、原子力は必要最低限にすべきだと思いますし、今までのように原子力によって余りある潤沢な電気を使い放題という生き方は改め、安全な形で発電される少なくなった電気を大事に効率よく使っていく生き方に転換するべきと思います。
(また原子力発電所を持つということは、イコール核兵器をもつことと言えるほど、簡単に作れてしまうそうです。唯一の被爆国であり、非核三原則を持つわが国が、イコール核兵器という原発を持つのは、どうなのでしょうか?)

そして太陽光、風力、地熱、波などの自然の力を使ったより効果的で調和型の発電方法を開発・運用してほしいと考えています。

※参考【原発問題と公明党の対応】  

Posted by takosuzuki │ ■政策/MANIFESTO 

2011年04月13日

●実績マップ


より大きな地図で ●実績マップ を表示

鈴木たかしの地域実績です。
何かお困りのことがありましたら、是非お知らせください。

what's new 2011.5.24 バス停留所ベンチ補修
→野塩団地のきよバス停留所ベンチを補修しました。

what's new 2011.5月 中里1丁目住宅カーブミラーの補修
→中里1丁目住宅で2件、カーブミラーの補修をしました。

こちら

  

Posted by takosuzuki │ ■実績/RECORD 

2011年04月02日

■私の目指す議員像 “東日本大震災”で戦う議員

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先日ご挨拶回りの中で、ある壮年の方からあなたの議員としての主張やテーマは何かと聞かれました。
とっさに日頃私が議員になったら取り組みたいと思っていた「病院の街・清瀬」とする取り組みを申し上げました。
それに対しては、例えば予算的なことや実現可能性などについて厳しく追求して頂きました。
しかしながらそれらのやりとりの中で、どうも自分自身釈然としないものを感じており、この記事を読んでそれが何なのか分かりました。

国会議員は国民の生命や財産を守る国家としての役割を具現化する勤めがあります。
と同じように市議会議員も、まずは市民の生命や生活を守ることを第一義に考えなければいけないのだと。
その上で、それを具現化するための方法がある。
何のための公約であり、何のための議員としてのアイデンティティなのかということです。

この平田さんのように、自分が何をすべきかが分かっている議員―。
議員が目指すべき人間像であろうと思います。

市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校
岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。

 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。

 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。

 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。

 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。

 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。

 市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。

 非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃)
朝日新聞 2011.3.19記事
  

Posted by takosuzuki │ ■政策/MANIFESTO