2011年04月02日

■私の目指す議員像 “東日本大震災”で戦う議員

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先日ご挨拶回りの中で、ある壮年の方からあなたの議員としての主張やテーマは何かと聞かれました。
とっさに日頃私が議員になったら取り組みたいと思っていた「病院の街・清瀬」とする取り組みを申し上げました。
それに対しては、例えば予算的なことや実現可能性などについて厳しく追求して頂きました。
しかしながらそれらのやりとりの中で、どうも自分自身釈然としないものを感じており、この記事を読んでそれが何なのか分かりました。

国会議員は国民の生命や財産を守る国家としての役割を具現化する勤めがあります。
と同じように市議会議員も、まずは市民の生命や生活を守ることを第一義に考えなければいけないのだと。
その上で、それを具現化するための方法がある。
何のための公約であり、何のための議員としてのアイデンティティなのかということです。

この平田さんのように、自分が何をすべきかが分かっている議員―。
議員が目指すべき人間像であろうと思います。

市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校
岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。

 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。

 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。

 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。

 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。

 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。

 市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。

 非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃)
朝日新聞 2011.3.19記事


Posted by takosuzuki │ ■政策/MANIFESTO