2013年03月05日

★長野県立科町と姉妹都市に

立科町と姉妹都市交流を

先般、私たち清瀬市議会は立科町との相互防災協定締結を踏まえ、立科町議会を視察訪問し様々に意見交換を行いました。参加した私たち17名の議員は、ご出席くださった立科町の町長はじめ全議員さんの心温まる人柄に触れ、それぞれ一様に感謝の念を深くされたのではないかと思います。

素晴らしい立科町の方々に文化交流でお返しを

もとより今回の訪問は相互防災協定の締結という、実務的な協力関係が結ばれたことから実現したものです。本来であれば、姉妹都市交流のような文化・市民交流が先にあってその後にこうした行政上の実務協定があるのではないかと思いますが、そうした民間交流なしに、しかも立科町では地震も少なく氾濫するような大きな河もない、いわば防災上は非常にリスクの少ない土地であり、相互防災協定はどちらかと言えば、清瀬がお世話になる確率の高い片務条約のような協定です。にも関わらず、立科の方々はもしそのときは喜んで助けに伺いますと仰ってくださいました。

その意味では、私たち清瀬市は、立科町に何かあった場合のお手伝いはもちろんですが、それが非常にレアケースだと想定されるならば、違う形で立科町に貢献してさしあげてはいかがでしょうか。清瀬市民にもっと立科町の素晴らしさを宣伝するためのアンテナショップを提供したり、意見交換の折、皆様が仰られていたとおり、市民祭りなどで物産展などの模擬店を出すなども素晴らしいと思います。立科町は避暑地であり観光地です。関越・上信越道を使えば2時間ちょっとで行くことのできる観光地なのです。清瀬市が立科のイメージアップまた観光客増加のお手伝いをできるようになればと思います。

余談ですが、私たち清瀬市民、なかんずく私たちのように立科山荘ができて以降育った清瀬っ子にとっては、立科町という地名は、ほとんど野塩や中里などの市内の町名同様、非常に親しみのある地名ですが、立科の方々にとって清瀬市という地名は、ほとんど聞いたことがない、立科町のほとんどの議員さんも清瀬を知らなかったということに大変驚きました。この姉妹都市交流によって、立科町の方々に遍く清瀬という地名を親しく知って頂ければと思います。是非、立科町との姉妹都市交流をご検討頂きたいと思います。

【番場清隆企画部長】
立科町との姉妹都市についてお答えいたします。

今年7月に、立科町との災害時相互応援協定を締結し、今回、市議会議員の皆さんが立科町を訪問され、立科町の皆さんにも清瀬市についてのご理解を深めていただくきっかけになったのではないかと思っております。

清瀬市民にとっては、鈴木議員がおっしゃるとおり、昭和46年に現在の立科山荘の前身である立科林間学園を白樺高原の一角に開設して以来、教育委員会では林間学校やスキー教室で、また市民の皆さんは登山やウインタースポーツなどで立科町を親しみのある場所として歴史を積み重ねてきていると思っております。

今般の災害時相互応援協定の締結もあり、今後は協定が有効に活用できるようにするためにも、さらに交流を深めていくことが必要であると思います。

現在も少年野球のクラブチームが立科町のチームと試合を行ったり、立科山荘が毎年清瀬市民まつりに出展していただいておりますので、今後はその出展をまちぐるみに広げていただくとか、立科山荘を活用して立科町の皆さんとの交流を持つ機会をつくるなど、今後、検討してまいりたいと思っております。

そして、市民レベルでの交流を通して、市民の皆さんが姉妹都市を結ぶべきとの機運が盛り上がっていけば、姉妹都市として発展していく可能性は十分にあると考えております。

【再質問】
立科町については、さっき私が申し上げたとおりで、非常にこちらとしては本当によく知っていたのに、向こうは全然知らなかったというのは、街中で知り合いだと思って親しげに手を挙げたら、向こうは全然私のことを知らなかったぐらいのショックだったんですね。そういう意味では、ぜひ仲良くしていきたいなと思うんですが。

それから、市の保養所が立科町にあって何十年もたつというのに、立科町の方々が清瀬市のことを知らなかったもう一つの原因として、立科町の議員さんがおっしゃっていました。やっぱり管理している指定管理の方々が地域の観光協会とかそういうところに入っていないそうですね、全く没交渉だそうです。だから、よそ者だし知る機会がなかったということらしいので、もしそういう機会があるんであれば、指定管理の会社にぜひ地域にも積極的にかかわっていくようにご指導いただければと思います。

立科町議の榎本議員と
立科町の榎本議員と



Posted by takosuzuki │ ■議会報告/City Concil Report | シティプロモーション