2013年11月23日

★清瀬小児病院跡地について/平成25年9月議会

小児病院跡地問題

今回は、都立清瀬小児病院跡地問題一本に絞ってのご提案となっております。議員の皆様には、もう先刻ご承知のいきさつだとは思いますが、市民にもご理解いただけるよう、前後の背景から一つ一つ明らかにしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

小児病院跡地問題のこれまでの経緯

それでは、私の提案をさせていただく前に、この都立清瀬小児病院跡地問題の概略をおさらいしてまいります。

まず都立清瀬小児病院跡地とは、梅園にあった都立清瀬小児病院の開院に伴いできた4万8,000平米の空き地です。この大きさは、ほぼ東京ドームと同じ大きさとなります。そもそも、都立清瀬小児病院は、戦後の昭和23年に都立清瀬小児結核保養所として開設されました。「病院の街・清瀬」の淵源ともなる結核研究所は、昭和18年に結核研究所の研究部として建てられ、東京病院もさらにさかのぼる昭和6年に東京府立清瀬病院といて開設をされていました。いずれの病院も当時の不死の病・結核に対する治療研究施設として開設されていましたので、この二病院に隣接する形での小児専門の結核保養所ができたのは、東京ひいては日本の結核保養地・清瀬として必然の流れであったかと思います。

また、結核研究所もこの都立清瀬小児病院も、今日まで70年にわたる歴史の中で、設立当初の自然の一部をそのまま残しているため、貴重な自然遺産地域であるとも言えます。であればこそ、清瀬の自然を守る会が、平成22年2月の都立清瀬小児病院閉院後に、アカマツ林の保全を都議会に請願したのは、大変に重要なことでありました。

持ち主である東京都病院経営本部は売りたい

都立清瀬小児病院は、先述のように、平成22年2月末に閉院となりましたが、閉院の件については主題ではありませんので触れません。閉院後の跡地について、土地所有者である東京都病院経営本部は当初より売却する以外の明確な基本方針を持っておらず、そのため地元民にとっては跡地の再利用問題として今日に至っているというのが、都立清瀬小児病院跡地の概略であります。

清瀬市議会でのこれまでの議論

それでは、本市議会で、この件につきどういう対応がされてきたのかおさらいしてまいります。

平成22年の閉院前後よりさまざまな議員よりその跡地利用については取り上げられてきました。「アカマツ林の自然を残すべき」を筆頭として、「都立公園として要望すべきである」、「認知症グループホームや特別養護老人ホーム等の福祉施設の建設を」、また「リハビリテーション学院跡地、中央公園を含む再整備計画として検討すべき」などの実に多くの提案がなされ、議員の間でもその関心の高さをうかがうことができます。

清瀬市は“住宅だけは阻止したい”

それに対する主な本市の答弁としては、大方針として「マンション等の住宅になることは阻止したい」、つまり「この用途は第一種中高層住居専用地域のため、仮に売却となると大型のマンション建設が想定される。そうなると、税収増にはつながるが、一方では小中学校の教室の不足だとか、保育園、学童クラブの待機児童などの問題も出てくる。要は「竹丘の旧共済組合病院跡地の二の舞だけは避けなければならない」ということです。また、平成22年11月に清瀬の自然を守る会による「アカマツ林の保全」の請願が都議会厚生委員会に趣旨採択されたのに続き、本市としても平成24年11月に渋谷市長が都庁を訪問し、都知事宛てに緑地保全について要望いたしました。さらに、さきに紹介しました副市長の答弁は、「その後に、あの地域一帯が病院外の緑として、長い間市民や病院関係者に親しまれてきたという歴史があることから、本市では中央公園やリハビリテーション学院跡地、松山緑地保全地域、それから東京病院や複十字病院など、緑と一体的に一つの緑のゾーンとして保全をしていただきたいというふうに考えています」と続きます。今年の6月議会では、今村部長より「松山緑地保全地域から続く複十字病院、東京病院、さらには東村山市が人権の森構想を掲げている多磨全生園、そして都立清瀬小児病院跡地、リハビリテーション学院跡地、中央公園と、いわゆる病院街一帯の緑と空間を公園のような一つの緑のゾーンとして、何としても守っていきたい」と「清瀬駅南側地区の公園構想」としてさらにスケールアップした構想も浮上してきました。

また、その間、都は跡地の一部を都水道局に売却し、現在元町にある浄水場の老朽化のため移設する意向との情報もありました。

元町浄水場
小金井街道沿いにある元町浄水場

そして、最新の本市の考え方として、先日の「旧都立清瀬小児病院跡地利用に関する意交換会」にて配布された資料によりますと、都自らが「緑確保の総合的な方針」にのっとり緑地保全すべき。2万平米程度を都の施設として活用する予定があるようだが、残りの部分は本市の財政負担がふえるような施設は避けてほしい。「病院の街」として、今まで長い間市民に親しまれてきたのであるから、本市の負担がない形で、公園として残してほしいというものです。

以上が、大変に雑駁ではありますがこれまでの旧都立清瀬小児病院跡地問題にまつわる推移と現況であります。

これを踏まえて、私の案をご提案申し上げます。

清瀬には予算がない。都のお金で公園整備を

まず、私も他の議員のご提案、また本市の考え方にもありましたように、都が事業主体となり都自らの予算で緑地保全公園のようなエリア整備を要望していくべきであると思っています。本市としてその土地を買い取ることが難しい以上、都の力を頼っていくこともいたし方ありませんし、清瀬市は病院の街として、大きな企業や工誘誘致をせずにただひたすら都民・国民の健康に寄与してきた。その意味では、都の予算で作ってもらってもよいのではないかと思います。

そして、その緑地保全公園のようなエリアは、緑地保全地域となることは当然としても、そのほかに、防災拠点としての機能を持ち、児童の集う公園として子どもたちの遊び場にもなり、病院の街としての清瀬の歴史的意義を学習できる機能をあわせ持つ複合エリアにというプランをご提示したいと思います。

そこで、まず三つ質問をいたします。

一つ、本市の長期総合計画の中で、この都立清瀬小児病院を初めとするリハビリテーション学院跡地、中央公園までのエリアはどういう位置づけになっているでしょうか。

二、都立公園の設置要件について。

三、浄水場移設の件、またリハビリテーション学院跡地、また中央公園の再整備計画について現状をお伺いいたします。

それでは、続きのプレゼンテーションは席を移して行いますので、まずは、三つの質問につきご見解をお伺いいたします。

【今村広司企画部長】
初めに、長期総合計画の中での位置づけについてお答えいたします。

現在の第3次清瀬市長期総合計画後期基本計画の中では、4つあるまちづくりの基本目標の一つ、豊かな自然環境と住環境が調和するまちの中の施策で、自然環境の保全というものがございます。その基本事業である「自然環境の保全育成」の中で、清瀬のケヤキ並木や雑木林などの多様な緑を次世代へ引き継ぐべき財産として位置づけ、自然環境の保全に努めるとし、昭和初期に清廉な空気を求めて雑木林や松林に囲まれた中に結核療養所として、東京府立清瀬病院の開設以来、次々と結核療養所が設立された。広大な病院敷地に残されたこれらの雑木林や松林は、今では都市の中の貴重な緑として、その価値を残していると位置づけております。

当面の課題として、移転後の都立清瀬小児病院跡地に残されるアカマツ林を保全することを視野に入れ、緑地保全地域の指定を東京都に要請すると記載をされております。

次に、都立公園の設立要件ということですけれども、東京都が設置する都市計画公園ということになりますと、まず区市町村の総合計画に記載され、都市計画決定がなされ、10ヘクタールを超える大規模公園について、都立公園となり得る可能性があるということでございます。

次に、浄水場移設の件につきましては、東京都より元町浄水場の老朽化により都立清瀬小児病院跡地の約半分、2万平米を活用して、元町浄水場の代替施設を建設したいと考えているという話を伺っておりますけれども、詳細につきましては、今後も情報収集に努めてまいりたいと思います。

また、リハビリテーション学院跡地につきましては、現在国立病院機構東京病院の財産として管理をされており、敷地面積は2.47ヘクタールございます。本市は、この跡地を有効な空地として災害時等のいっとき避難所及び救援物資等の集積場所などとして利用し、防災力の強化を図るため。無償で貸していただけるよう要望してまいりました。その結果。多くの市民の安全と安心の貢献につながるとの判断から、おおむねご了解をいただいており、現在は東京病院側が施工する建物の取り壊し等の仕様を協議しているところでございます。なお、土地賃貸借契約の期間は1年間であり、更新はできるとしても、あらかじめ複数年契約はできないということでございます。

こうしたことから、本市としましてはなるべく現存する樹木を残しながら、防災機能の有効な空地として利用したいと考えております。

また、中央公園の再整備計画ということですけれども、今のところ特に何か計画しているということはございません。
都立公園にするための要件

まず、都に公園として整備してほしいということが、大ざっぱに言って本市、私どもからの要望ですので、都立公園にしていくための設立要件としては、まず長期総合計画の中で緑地保全地域、またないし都立公園としての都市決定を見てという段取りを踏まないと、いきなり都立公園にしてくれと言っても無理ですよというお話ですね。

現在の長期総合計画の中では、緑地保全地域としては位置づけられているけれども、当然、都立公園にしてもらいたいという記載はありません。仮にあったとしても、都立公園の設立要件として10ヘクタール以上が必要ということですから、現在都立清瀬小児病院跡地だけですと4.8ヘクタールと半分以下ですから、都立公園にしてもらうには足らないということになります。

中央公園
すっかり寂れている中央公園と市民プール跡

基準に足らないということであれば、その地域一帯リハビリテーション学院跡地が地続きの隣にあって、看護大学校を挟み、中央公園があるわけですから、そこら辺のエリアをまとめて、数の上で10ヘクタールにしていったらいいんではないかと単純に思います。しかし、都立清瀬小児病院跡地、リハビリテーション学院跡地、それから中央公園、全部足しても8.9ヘクタール弱なんですね。1ヘクタールぐらい足りないんですよ。その中でやはり都立清瀬小児病院跡地に浄水場ができてしまったりすると、もっと足らなくなってしまう。それではあそこのエリア一帯、図書館があったり、教会があったりしますけれども、構わず全部入れてしまうと面積的には10ヘクタールにはなるんです。民地も当然入っていますし、そういう乱暴なことでは都市決定はもちろんなされませんので、なかなか額面どおり都市計画公園という意味での都立公園は難しいということになってくるわけですね。

小児病院跡地だけでなくエリアとして再開発を

では、全部一体として都立公園の要請ができないからといって、今回言われているような都立清瀬小児病院跡地、リハビリテーション学院跡地、中央公園は中央公園で、後は野となれ山となれで、それぞれの違ったコンセプトで考えていってもバラバラなものになってしまいます。地域としての一貫性や景観を損なってしまう、ここはやはり一体化したコンセプトで整備したほうが、当然いいわけです。

その3つのエリア一体の場合の功罪というか、そこら辺のことを企画部長にお伺いいたします。

小児病院跡地

【今村広司企画部長】
鈴木議員ご提案のような都立清瀬小児病院・リハビリテーション学院跡地・中央公園を一体化したコンセプトで整備できれば、地域全体が公園のような一つの緑のゾーンになりますので、大変すばらしいことではないかというように思います。

ただ、土地の所有者が現在は東京都の病院経営本部であったり、国立病院機構東京病院であったりと異なりますし、またそれぞれの財政状況の都合などもあることから、なかなか一体的な整備というのは難しいのかなというように思っておりますけれども、今後もしっかりと情報収集をしながら、それぞれと協議・要望を行ってまいりたいというように思います。

このように三つ、トータルで考えていくというのはなかなか難しい。じやあどうするんだということがやはり大事です。こうしたいという目的があるから、都にこうしてもお願いをしていこう。都立清瀬小児病院跡地についても、今はマイナス要因、こうなってもらいたくないから、何としてもアカマツ林を、例えばアカマツ林を残してほしいは、それはそれでプラス要因ですが、マンションとか建ってもらいたくないし、大型商業施設なんてとんでもないしという、こうなってもらいたくないということはありますけれども、アカマツ保全以外に、こうなってもらいたいという確たる明確な目的がないということが一番の問題だうろと思います。その意味では、今回私は公園という、本市が思っていらっしゃるのと同じように、私もやはりあそこは公園にしてもらいたいと思います。それで、どんな公園になっていくのが望ましいか。大前提として、今現実的な話としては、都立清瀬小児病院跡地には浄水場が来るかもしれないということがありますので、それも考慮に入れて申し上げます。

 )漂匕園としての機能    

まず、三つありまして、一つは防災公園としての機能を持った複合施設であるべきである。

防災公園機能の前段階として、清瀬市内の抱えている問題、西武線を挟んで南北問題があります。この件もたびたびこの議会で指摘されてきましたが、いわく、北側は地の市民や農家が多い。逆に、南側は地の人ではなく、転入者が多くサラリーマン層が多い。ざっくりですよ、厳密なことではなくて。南側は畑が少なく住宅が密集している。そして、北側には、市役所や健康センター、児童センターころぽっくる、コミュニティプラザひまわりと、本市の拠点施設も多い。アミューも強いて言えば、北側であると。それで、南側は地域市民センターはあるものの、本市の拠点施設は余りありません。

この都立清瀬小児病院跡地問題は、その格差問題解消に一役買えるポテンシャルがあります。中でも重要なのは、ここ清瀬市の南西部は、北東部に比べて住宅密集地域であるにもかかわらず、大きな防災拠点が少なく、多機能な防災拠点が絶対に必要であるということがあるわけです。

その意味では、この地域、リハビリテーション学院跡地を含め都立清瀬小児病院跡地には多くの市民が避難できる敷地があり、また、家が倒壊した場合には避難所となるリハビリテーション学院の体育館もある。あと、断水の場合も浄水場が給水拠点にもなる。それで、エリア内には看護大学校があり、応急的な、またはドクターの手配さえできれば本格的な治療行為もできる医療拠点にもなります。あとマンホールトイレも整備すれば、これでもうほぼ完全な防災拠点になり得るということです。

浄水場とは?

今回、浄水場移転という話があります。浄水場というのは何だろうと、ちょっと調べてみました。今現在は小金井街道の元町にあるあの四角いコンクリートの建物で、東村山浄水場から清瀬に水が来る際、直接、各家にそれぞれ行くわけではなくて、浄水場に一旦来て、そこからハブ拠点として各家庭の水道につながっていく、そうした機能だそうです。それで、常時ある一定程度の水が蓄えられているので、一朝有事の際はそこが給水拠点にもなり得るそうです。今回その元町の浄水場が、非常に古くなっているので、新しいのを建て替えなくてはいけないということで、都立清瀬小児病院跡地に白羽の矢が立ったそうです。

 ∋童公園としての意義    

続いて、もう一つの機能、児童の集う公園としての意義です。私は先日議会の皆さんと一緒に都立清瀬小児病院跡地を見学した際に、ふとある思いにとらわれました。この都立清瀬小児病院のありし日に、私の友人がそこにナースをしている人がいまして、彼女は重篤な子どもたちを担当するナースだったんですけれども、あるとき彼女から、元気に遊びたい盛りの子どもたちであるにもかかわらず、さまざまな病気で長期入院をしている人が多かった。そして、いつか元気に遊び回りたい、友達が持ってくる千羽鶴が窓際にいっぱい飾ってあって、寄せ書きとかあって、そういう中で、元気になったら一緒に遊ぼうねって約束しつつ、亡くなっていってしまう子どもたちがいる。そういう子どもたちも非常に多かったそうですね。その話をふと思い出したわけです。私の子どもも、小さいときは都立清瀬小児病院にお世話になりましたが、よく利用していたそんな病院が、実はその傍らでは小さな棺に入れられてお帰りになる子どもたちも多かったということに、当時、非常にショックを受けました。

小児病院跡地
2013年5月、議員団で小児病院跡地を視察

この間、議員の皆さんと一緒に、跡地を散策、見せていただいているときに、ふとそのエピソードを思い出したんですね。今回、小児病院跡地は何にしたらいいかということを考えたときに、その子たちのことを思うと、やはり児童公園として子どもたちが元気に遊べるような公園にしていったらいいなのにと思いました。

児童の集う公園とはいっても、遊具のいっぱいある公園である必要はなくて、所沢の航空公園みたいに芝生がばーっと生えていて、そこで元気に裸足で走り回れるようなそういう公園でいいんではないかと思います。現状は、小児病院跡地は周辺を松林が繁茂しています。その松林に守られた中を芝生が生い茂るような、そういうような公園になったらいいなと思っていました。

浄水場と共存できる公園とは

ただ、今、4.8ヘクタールの中に、半分は今、浄水場がつくられようとしています。これは、かなり具体的になっていく可能性のあるものですね。先ほど佐々木議員との副市長とのお話では、大体は地下施設になって、5メートルぐらい地上に出てくるということでしたが、敷地の半分近くを、簡単に言うと、元町にあるあの四角いコンクリートの物がそのままばーんと来てしまったとき、残りの敷地をどう使えばいいんだということになり得るんだろうと思います。でも、こう考えてはどうでしょう。今の元町の浄水場の施設は、ただの四角いコンクリートの箱です。あれを、例えば円形のデザインにしてもらったり、その建物を慰霊塔のようなモニュメントを併設して、メモリアルな建物のようにしてもらうなど、公園の一部と同化できるような設計にしてもらってはどうかと思うんです。

元町浄水場
何の変哲もないただの四角い建物

基本的には、浄水場というのは立入禁止区域ですから、入れません。そこで、植林もいっぱいしてもらって、建物もただの四角いコンクリートの建物ではなくて、その建物自体がもうメモリアル、モニュメントになるようなものにしてもらう、それが難しいんであれば、単純に四角い建物ができたら、その公園の建物の壁面を、昔、芝山小学校にあった、手塚治虫さんや、やなせたかしさんたちが描かれた模写を、その浄水場の壁に描かせてもらう。あれはどこかのお風呂屋さんに飾られていたものでしたね。それが芝山小学校に移設されて、今は児童センターころぽっくるにあります。

ころぽっくるの絵
ころぽっくるの2階に飾られている絵


ころぽっくるの絵
絵の右下に書かれているクレジットの拡大

あの絵は、この間小学館ビルの解体ではないですけれども、当時著名な漫画家たちが集まって1つの作品をつくり上げたという、清瀬としてはすごく重要な文化財だと思います。または、子どもたちを慰霊するような絵を描いてもらう。それこそさきに引退を宣言された著名なアニメ監督に趣旨をご理解いただき、絵を描いてもらってはいかがでしょうか。特に、宮崎駿監督は結核療養ということには思い入れが強いようで、たびたび作品の中に登場してきますし、今回の「風立ちぬ」をつくられたときには、全生園も見学をされてというお話がドキュメンタリーに放映されていました。そういうことを考えると、アイデア次第では必ずしも浄水場ができたからといって、公園機能を損なうようなものにはならないだろうなと思ったんです。それから、リハビリテーション学院が残してくれたまだ新しい体育館も、児童センターころぽっくるのような屋内児童施設として使用させてもらってもいいのではないかと思います。

故人を偲ぶネーミングライツの植林を

また、現在の松林を、より緑地保全エリアとしてボリュームを持たせていくために、亡くなった人をしのぶネーミングライツの植林をしてもらってもいいんではないかなと思います。

余談ですが、複十字病院の入口の真ん前にも松が立っていて、都立清瀬小児病院も松林があって、私は何で松林が病院にあるのかということを考えて調べましたら、松は常緑樹として冬でも緑の葉を茂らせることから、若さ・不老長寿の象徴とされ、竹と梅と合わせて「松竹梅」としておめでたい木とされているそうです。だから、病院にはもってこいの樹木であったわけでしょうね。その意味でも、「松竹梅」の町名がついた町がその地域にあったというのも、なるほど、病院街として暗いイメージを払拭しようという地元民の努力があったんだろうと思いました。また、それ以外にも、松ですから、「子どもの回復をマツ」とか、親たちのやはり切なる思いから松が植えられていったんではないかと思いました。その意味でも、松林を残すということは、そうした病の子どもたちの回復を待つ家族の切なる思いがあのアカマツ林には残されていると思うと、やはりそこはひとつの追悼の鎮魂施設であってもいいんではないかと思いました。

小児病院跡地
小児病院跡地のアカマツ林


 N鮖謀意義を留める公園    

それで、その複合施設の三つ目の機能としては、病院の街としての清瀬の歴史的意義を学習できる機能をあわせ持つ公園です。

「病院の街・清瀬」と言われますけれども、その実態はまさにこの梅園・竹丘地域にあるわけです。もちろん、清瀬市内には古い病院としては、きよせの森総合病院の武谷病院や織本病院も戦後すぐにできた病院ですので歴史は古いんですが、やはり何といっても、複十字病院・東京病院・都立清瀬小児病院・救世軍清瀬病院と固まっているあの地が「病院の街・清瀬」の象徴であると言えます。その意味では、この公園に「病院の街」たるゆえんと歴史的な意義を伝えるべき記念館的な施設があってもいいのではないかと思います。

「病院の街・清瀬」は都民・国民の健康のため、もっと言えば、かつて今日のガン以上に恐れられていた結核の中心的な治療研究機関がこの三つの病院であったという事実を、もっと市内外の方々にアピールしていくことも清瀬に課せられている使命なんではないかと思います。

そして、今日的な意義は、この結核研究所の世界的な位置づけですね。結核研究所の結核治療のノウハウは「キヨセ・ナレッジ」として世界中からあがめられているという事実は、市長がずっと言っておられる通りであります。近い将来、図書館が耐震・リニューアルされる暁には、図書館の中にそういったコーナーを設けてもいいんではないかなと思っております。

実質的な文化エリアがこの地域

るる述べてきましたように、中央公園まで含めた大きな括りとして、本市も協力しながら都立公園として、または緑地保全公園のようなエリアとして整備をしていただくことが望ましい。この施設には、アカマツ林を初めとする自然あふれる児童の集う公園をベースとして、中央公園があり、図書館があり、テニスコートがある。また、教会もあり、交番もある。私は昔、文化というものを学んだときに、文化の構成要素というのは読書・運動・芸術・宗教であると聞きました。その意味では、この地域には学校があり、図書館があり、スポーツ施設があり、宗教施設がある。そういう意味では、これだけ条件のそろった地区というのはまずないでしょうね。治安を守る交番もあるわけですから。そういう意味では、清瀬の中でも総合文化ゾーンとしてモデル地区になり得る地域なんではないかと思います。

図書館のリニューアルも視野に

公共施設の耐震化検討委員会の中では出てきませんでしたけれども、図書館の耐震化リニューアルも近い将来、話に出てくると思います。もしこの再整備の中で図書館が再整備されていくとするならば、やはり駅前図書館と差別化を図って、自然の中で、林の中で読書ができるような施設にしていただきたいと思います。例えば、佐賀県武雄市のようにスターバックスコーヒーとかそうした民間企業と提携して、コーヒー飲みながら本読めるようなふうにも検討していただきたいと思います。

病院の街の意義を伝える歴史伝承館

また先ほど申し上げましたように、病院の街の意義を伝える歴史伝承館。都立清瀬小児病院を初め東京病院、複十字病院、武谷病院、織本病院など病院の歴史を本市の戦後史とともに紹介してはいかがでしょうか。また、エリアの電柱はできるだけ地中化するなど、自然をきれいに見せる。また、どこからでもお越しいただけるような大きな駐車場を確保する意味では、駐車場がないんですよね、あそこ。ぱっと考えると。複十字病院にとめたら怒られてしまいますしね。東京病院の使っていない駐車場があるではないですか。あれをお借りして、歩きますけれども、そういうふうにするというのも一つ、一考じゃないかと思います。

中央図書館
老朽化している中央図書館

ともあれ、このエリア一帯を一つの大きなコンセプトとして再整備し、大きく広く回遊していただけるような工夫を凝らしていただければと思います。

リハビリテーション学院跡地にある史跡はしっかりと保存を

余談ですが、リハビリテーション学院跡地には、かつてここで学んだ方たちが残したさまざまな史跡があるそうなんですね。私も青春時代を過ごした学校が廃校になってしまったという悲しい経験を持つ者なんです。やはり母校がなくなってしまうというのは寂しいものなので、今後清瀬市がそれをお借りするに当たっては、東京病院にそういう史跡は残してくださるようぜひお願いをしていただければと思います。

リハビリテーション学院跡地
リハビリテーション学院入り口付近に立つ史跡

最後にまとめとして、いずれにしても、都立清瀬小児病院跡地、リハビリテーション学院跡地、中央公園、それぞれ地主が違うものを、一旦清瀬市が全部買い取って都立公園として都市計画の中に入れて、しかるべき後に、都にまた買い戻してもらうとか、国に買ってもらうとか、今後都と協議を重ねて頂ければと思います。

なにしろ、4.8ヘクタールの中で2ヘクタールが浄水場で、残り2.8ヘクタールの中で残すべきアカマツ林は1ヘクタールちょっと。残りの1.8ヘクタールをどうしていののか都としてもわからない。本市としてもどうお願いしていいのかわからないというのが現実問題です。うまくはまるような制度がないのか、そういったこともぜひまた行政側もお考えいただきたいと思いますし、そういう制度があれば、都も市もスッキリいけることだと思います。そういう制度が見当たらないということが今一番の問題点なんだなと思います。

市長の唱える“文化遺産構想”の中に位置付けられるのでは

その意味では、最近市長がずっと言っておられる文化遺産構想、あれはもう世界文化遺産にして、という壮大な目標の中に、この構想もぴっと入れると、千鳥ヶ淵の国立追悼施設のように、この地域一体も、都ではなくてもう国に買い上げてもらうという考え方もあるんではないでしょうか。都の制度に当てはまらないのであれば、国の制度にどこか入ることがないかとかと思ったりもします。そういう意味で、市長、最後に私のこの案の感想と、それから市長のおっしゃっていられる文化遺産構想について、お話しいただければと思います。
【渋谷金太郎市長】
いつも鈴木議員には、自由な発想でいろいろご提言いただきまして、発想自体は別にお金がかかることではありませんから、何かを生み出すということは、これはもう大変な作業ですので、それに縛りをつけてしまうと出てきませんから。これではだめ、これではだめ、というようなそういう思考方法というのは、新しいもの絶対生まれてこないと私は思いますよ。そういう縛りを一度取っ払って、それで条件を考えずにどんどん出していく。そういったところではっと運命の女神がほほ笑めばつかめるというのは、この私の考え方で、ただし、唯一の条件といいますか、私が思うのは。先人、先輩、ご先祖、歴史、そういったものをしっかりと見つめてでないと、次には進めない。ここに、だから何があったのかとか、こういう仕組みは誰がつくってやってくれたのかとか、そういう歴史や先人、ご先祖様に対する思いはしっかりと大切にしていかないと生まれてはこないと、基本的な枠組みのところはそう思っているわけで、さて、ではその松山・竹丘・梅園の先人、先輩、原点歴史みたいなことは、看護大学の西門の中央公園の中に、碑として建っています。清瀬病院同窓会と患者自治会、清風会の皆さんが昭和62年5月に建てられました。読ませていただきますと、この前行ってちゃんとメモしてきましたから。

清瀬病院の碑

「―ここに、清瀬病院ありき。東京府立清瀬病院、昭和6年10月20日、日本医療団清瀬病院、昭和18年4月1日、国立療養所清瀬病院、昭和22年4月1日、国立療養所東京病院清瀬病棟、昭和37年1月4日、昭和45年2月13日閉鎖。」
この四つの病院を閉鎖したということですね。それで、「ここに清瀬病院ありき」と。それで碑史には、結核が死に至る病であったころ、当時無医村だった清瀬のここに東京府が結核療養所として府立清瀬病院をつくりました。それはやがて、国公私立15の療養所や研究所となり、全国からの入院患者数は、多いときには5,000人を超えるほどになりました。清瀬は、結核治療のメッカと言われました。現在、結核は不治の病ではなくなりましたが、世界の結核学者で清瀬の名を知らない人は少ないでしょう。ここはそういう歴史の出発地点ですと書かれてあるんです。ぜひ、しっかりとまだこれを読まれていない方は、読んできて確認をされればいいと思います。ひとつには、大きな歴史の、清瀬の歴史の出発点、ずっと私は、もっと前から、縄文時代からとか弥生時代とか、その上に加えて大きな歴史の出発点がここにあったということですので、それを再確認されるというのがまず大切なことだろうと思っています。

それと、都立清瀬小児病院は、昭和23年に小児の結核療養所として全国で初めてスタートしたわけですね。昭和20年あたりでは、小児で結核になったのは都内で7,000人、亡くなっている子が1,300人と調べたら書いてありました。だから、その子どもたちのために建てられたのが、都立清瀬小児病院の原点です。ですので、その子どもたちの心を鎮魂するためにも、先ほど宮崎駿さんのああいったというのは、宮崎駿さん、もしかしたらのってくれるかもしれませんから、もし実際にそういうこの計画が具体化すれば、宮崎駿さんに一度、私は頼みに行っても、断られるかもしれませんけれども、でも頼みに行く価値は十分にあると思います。

【関連】
都立清瀬小児病院跡地に「多摩六都アニメ館」の設立を(平成25年度12月議会)

Posted by takosuzuki │ ■議会報告/City Concil Report