2014年04月16日

■朝日新聞に「結核研究所視察」の模様が掲載されました。

朝日新聞記事

4/15(火)の朝日新聞朝刊に、先日行われた結核研究所視察の模様が掲載されました。当日は、朝日新聞の女性記者の方が取材に見えていて、熱心にそれぞれの説明を聞くとともに、渋谷市長に聞き取り取材をされていました。
「Kiyose」を世界遺産にー。
市が登録めざす


過去に「不治の病」として恐れられ、今も三大感染症の一つである結核。清瀬市はかつて15もの結核療養所が集中していた。病との闘いの歴史的意義を後世に伝えようと、市は、ユネスコの「世界文化遺産」登録を目指す活動を始めた。

「結核の主戦場は清瀬の地だった。(結核治療に向けた)人類の愛と志がここで芽生えたと言ってもいい」。3日、国内唯一の結核専門研究機関・結核研究所(清瀬市松山)で、渋谷金太郎市長は力を込めてあいさつした。この日、初めて市議やメディア向けに「結核ゆかりの地ツアー」があり、約60人が参加、同研究所などが特別に公開された。

1931(昭和6)年、当時の清瀬村に東京府立清瀬病院(現国立病院機構東京病院)が開設されたのを皮切りに次々と結核療養所が開設された。最も多い時で15施設、約5千人の患者が入院。昭和を代表する俳人石田波郷(はきょう)や、作家の吉行淳之介も清瀬で闘病していた。

日本では1940年代まで多くの若者が結核で亡くなった。その後、予防法の成立や抗生物質の開発、生活水準の向上などで患者数は激減。清瀬は結核根絶に向けた研究と治療の中心だった。

渋谷市長は結核対策に取り組んできた市の歴史を広く知ってもらおうと、昨年ごろから、結核関連の施設をユネスコの世界文化遺産に登録することを発案。その一歩として今年2月、東京病院内にある「外気舎」(結核患者が退院前に最後に過ごした小屋)を市の有形文化財に指定した。

市長は、結核研究所を含む一帯を文化遺産に含められないか、検討している。研究所はこれまでに国内から約4万人、世界97カ国から2200人の研修生を受け入れ、最先端の結核対策を世界に普及する役割を果たしている。結核に苦しむ発展途上国の医療関係者の間で「RIT Kiyose」の英語略称で知られるという。200個近い病理標本を所蔵し、戦前からの結核予防のポスターなど資料や図書約3万8千点を保管する図書館もある。

否定的にとらえられがちだった結核との闘いの歴史を、尊いことと気付いてほしい――。渋谷市長はそう考える。「登録には時間がかかるかもしれない。でも清瀬での取り組みが世界中の多くの命を救っている事実を広く知ってもらう、よい機会になる」。

文化庁の世界文化遺産室によると、世界文化遺産登録には、有形の不動産が「国内だけでなく世界の人にも顕著な普遍的価値があると認められることが必要」だという。担当者は「(登録を果たした)海外の類似資産との比較研究が登録に向けた参考になるのではないか」と話している。(高橋友佳理)

【参考】
東京MXテレビの「MXニュース」で結研視察の様子が報道されました。
結核研究所、視察しました。

Posted by takosuzuki │ ■新聞等での掲載