2015年12月31日

■野塩団地のタコ公園が撤去されました(涙)。

野塩団地タコ公園撤去

2015年の年末、野塩団地のタコ公園が撤去されました。そもそもここは、野塩団地が建設された昭和38年に、その象徴として団地の真ん中にこのタコの滑り台を擁するタコ公園と、30mはあろうか給水塔も造られたのでした。爾来、52年―。団地の住民、とりわけ子どもたちに勇気と元気を与えてくれました。

野塩団地タコ公園撤去

野塩団地では、今から20年ほど前、建設40年を前に団地の建て替え計画が持ち上がりました。そして、2階建てのテラス等はすべて建て替えられたものの、高層棟は当時の住民の建て替え反対にあい、凍結となったのです。

そもそもコンクリート性の建物は、その寿命が40〜60年程度とされており、しかも野塩団地は耐震基準となる昭和58年以前の建物のため、耐震性に問題があったのです。もちろん、エレベーターもついていません。

これに対して、反対した方々の理由としては、_板造高くなる、建て替えに伴う転居が大変、I屋が狭くなる(入居当時は子どもと同居して広い部屋にいたが、現在は子どもも独立し夫婦ふたり世帯になっているため、部屋数が少ない部屋になる)、などでした。

その後、私が自治会長になり、その目標としたのが、建て替えの推進でした。建て替え反対は、当時の自治会が住民投票を行い、僅差で反対が可決されたため、自治会として決議したものでしたので、そのため、建て替えの推進も、自治会としてかつての反対を撤回し推進へと、自治会総会をもって決議しました。そして、様々運動を行い、2年前の自治会50年の折り、東京都住宅局に建て替えを決定して頂きました。

私はここ野塩団地に生後一カ月で転入してきました。そして、成人し10年ほど団地から30mほどのところに暮らしていましたが、結婚後、再び戻ってきました。もちろん、このタコ公園はまさに今日の私を育ててくれた思い出深い公園です。その意味では、ずっとこのタコ公園は残してもらいたい。しかし、今後50年、野塩団地を残していくためには、この撤去もやむを得ないことです。

2年前の建て替え決定から、2年かけ基本設計、実施設計を行い、この11月末に公園の撤去となりました。約2年かけてここに新しい高層棟が建ちます。そして、そこに川沿いの現住民が移転しその転出した後の棟を壊してまた新しい棟を建てるのです。大変に悲しいことではありますが、また新しい野塩団地建設へ、見守っていきたいと思います。

野塩団地タコ公園撤去

以前はタコはクリーム色でした。いつの頃か、団地にお住いのペンキ屋さんが無償でタコの色に塗り替えてくれたと記憶しています。また、写真右から左にかけての歩道には、簡易な街路樹がありました。また昔は左の集会所前に滑り台があったり、砂場には藤棚のような屋根もありました。

野塩団地タコ公園撤去

その街路樹も次第に枯れたりしてなくなり、その花壇も撤去され、現在の形に収まりました。公園の中の木々も50年歳月で立派になりました。

野塩団地タコ公園撤去

11月の撤去は、まず公園東側のぶらんこの撤去から始まりました。そしてその後、タコ滑り台の撤去でした。上の写真はその直後の様子です。

野塩団地タコ公園撤去

そして、写真左の集会所を残して、木々もすべて撤去され、まったくの更地になってしまいました。その後、集会所もなくなり完全な空き地となったのが、上から2枚目の写真です。

野塩団地周辺では、タコ公園の他にも薬科大南側の雑木林が開発のため一部伐採されました。2015年は再生への破壊の行われた年となりました。

雑木林の伐採

雑木林の伐採


Posted by takosuzuki │ ■活動日誌/BLOG