2011年05月25日

●ベンチの補修/ローカル実績

停留所ベンチの補修
野塩団地きよバス停留所にあるベンチ。子ども達のいたずらで壊されてしまったそうです。

お金のかからない方法で、すぐに直して頂きました。
2011.5.24
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●カーブミラーの補修。その2/ローカル実績

カーブミラーの補修
こちらも、先程の場所からほど近い中里1丁目の住宅街。

先の倒れたカーブミラーの件を大変喜ばれた方より、ご連絡を頂きました。

「カーブミラーの根元が腐食して倒れそうだ」

この方はこの住宅にお住まいの方で、犬の散歩中にいつも気になっていたとのこと。
すぐに役所に連絡。現地を見て、なるほど危険だということで、付け替えて頂きました。こちらの課は本当に対応が早い!! 感謝です。
(2011.5.20)
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●カーブミラーの補修/ローカル実績

カーブミラーの補修
ある日、付近を通りかかった方より写真付きのメールを頂きました。

「カーブミラーが倒れている。危ないのですぐに何とかしてくれ」

場所は中里1丁目の住宅街。すぐに現場に駆けつけ市へ連絡、倒れたカーブミラーはすぐに撤収して頂きました。

その後、新しいカーブミラーを付け直して頂きました。
2011.5.9
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●側溝の補修/ローカル実績

側溝の補修
我が党では、市民の皆様からからの“困った”を聞いて回ることを、市議会議員の主要な業務としています。

今回、議員になる前後に皆様から頂いた“困った”を実現した例をいくつかご紹介します。

中里2丁目の住宅に入る側溝部分がガタガタになっており、歩行者に危険であるということでした。
その当時はまだ当選前でしたが、一市民としてさっそく市へ対応をお願いしました。
その後、キレイに直して頂いたと市民の方より嬉しいご連絡がありました。
2011.3.8
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2011年05月22日

■子どもたちを被爆から守るための申し入れをしました。

申し入れ
被災地視察に行った5/19(木)夕、子どもたちを被爆から守るための申し入れをしました。

これは選挙以前より、私にツイッターで要望を頂いていたOさんご夫妻にご同行頂きました。

今回の震災で清瀬は大きな被害から免れましたが、放射線という眼に見えない被害は歴然としてあります。
もちろん都が毎日発表している放射線数値には健康に害を与えるレベルにはなっていません。
しかし福島第一原発は未だ収束はおろか安定した状態にもなっていないのが現実です。
今後、爆発やベントなどにより高濃度の放射能物質を放出されないとも限らないのです。
もしそうした状況になった時、市として直ちに子ども達、もちろん大人もですが、より放射線被害に合いやすい子どもを被爆から守るために、以下の申し入れを行いました。

1.清瀬市においては市民とりわけその子どもの健康・安全を第一に考え、東京都健康安全研究センターの「都内の環境放射線測定結果」から「空間放射線量の調査」「水道水中の放射能調査」「降下物の放射能調査」「全国の風向き」の情報に日々注意を払い参考にする。

2.その結果必要に応じて、市民に対し「屋内に退避」を促す。とりわけ幼稚園や保育園、小中学校に対し「外気の遮断」「外遊びの中止」「校庭授業の中止」「水泳授業の中止」を促す。

3.幼稚園や保育園・小中学校において水筒持参を希望する児童には許可をする。

4.学校給食で使用される食材の原産地の表記、ないしは報告。

5.清瀬市独自による放射線測定の実施。


市の回答は、検討するとは言いつつも、文科省や都教育委員会の指導指針に沿って適切に対処するとのことでした。
今回の申し入れの趣旨は、福島第一に限らず原発事故など一朝有事の際の対処を求めたものですので、「国や都などの指示を待って」ではなく、「もしもその時は市として直ちにこうします」という非常時における想定規範を求めたものです。
その意味では、全く物足りません。

今後ネットワーク政党であるわが党の強みを生かして、文科省の考え方、都教委の考え方を正して参ります。  
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2011年05月21日

■東日本大震災・現地視察に行ってきました。

現地視察
去る5/19(木)、清瀬市公明党の議員で被災地である北茨城市の大津港、いわき市の小名浜港に行ってきました。

新聞やテレビ等で何度も目にしている光景ではありますが、実際に目の当たりにするとやはり違います。

そこに人が住み、またそこで活動していたというまさに場所が倒壊している訳ですから、人事は思えません。

その意味では、今回の震災を他山の石とし、しっかりと我が地域の防災対策に反映させて参ります。  
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2011年05月13日

■市議として、初心表明。

当選ボードの前で
先日党本部へ行った際に、高木美智代衆院議員とともに当選ボードの前で記念撮影をしました。
その写真をアップしつつ、初心忘るべからずということで、初心表明をします(総理大臣ではないので所信表明ではなく)。

気張ったことではなく、何しろ市民目線で、市民の方々の生活をいかに安全で安心なものにしていくかに尽きます。

また未曽有の震災後に議員としての使命を頂いたことを思えば、現今の課題である震災関連の課題、具体的には“放射能問題”に取り組んで参ります。

何しろ、スタートダッシュ!! まずはこの四年間、頑張ります!!  
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2011年05月10日

■支えあう日本!! 支えあう地域!!

支えあう日本先日、たまたま家にいると外から尋常ではない子どもの泣き声がする。我が団地は、48年も続くいわば現代の長屋だから、近所から夫婦げんかの声や酔っぱらいの叫び声、お母さんが子どもを叱る声、子どもの泣き声など、ある意味では、そんなに珍しいことではない。

とは言え、その絶叫に異常を感じた我が娘が外に出て見に行くと、帰って子どもが怪我をしているようだと報告してくれた。

もしもに備えて携帯を片手に飛び出すと、たまたま通りかかったきよバスの運転手さんもバスを止めまさに降りてき、また近所のおじさんやバスに乗っていたおばあちゃんたちも心配そうに降りてきた。

子どもはランドセルを背負った男の子。あとで聞くと6年生だそうだ。両手は血まみれ。川原で遊んでいて、石に右手の親指を挟んでしまったらしい。怪我をした指を抑えていたためか、左手もベッタリと血が付いている。

私が行った時には、誰かがタオルを貸してくれたようで、近所のおじさんが怪我した箇所を巻いてくれていた。

私は怪我の様子や出血の度合いから、これは救急車だとすぐに119を。携帯からかける場合、私はいつも清瀬消防直通にかける。

その間、おじさんは子どもの名前や住所を聞き、一緒に遊んでいた友達に親を呼んでくるように手配。

救急車はここまで来る間に、私の携帯に折り返しかけてきて、怪我のより詳しい様子、怪我をした子の年齢、怪我の状況等を尋ねてきた。泣き叫ぶ子どもに聞きながら、応答。その後間もなく、子どものお母さん、救急車と到着した。

救急隊の方は、すぐに怪我の様子を確認し、手当を開始した。
子どもには厳しい声で
「坊主、目をつぶってろ!!」
巻いていたタオルを全てとり怪我をした指が露になると、これは酷い怪我で、確かに子どもにはキツイ状況だ。
一緒にいた友達は別の救急隊員から、怪我の状況を聞かれると、泣きながら僕が悪かったんですと説明を始めた。しかし、その子が何かしてしまったわけではないようだったが、あまりの出血や救急車が来ての大事に動転してしまったのだろう。

とりあえずの処置が済み、搬送先を手配している間、怪我をした子どもは少し落ち着いたのか友達に、
「本当にゴメンな」
「オレのほうこそ、ごめんな」
と泣きながら、謝り合っていた。

気がつけば、きよバスの運転手さんや近所のおじさんも、いつの間にか何事もなかったように去っていった。

無縁社会と叫ばれて久しい昨今。
でも一朝有事の際は、ご近所同志、支えあう心は厳然としてある。
いつの時代も、「支えあう心」これが一番だ。  
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2011年05月04日

■赤坂プリンスに行ってきました。

避難所赤坂プリンス
5/4(祝)、先般営業を止め一時避難所として貸し出されている赤坂プリンスに、知り合いのお見舞いに行ってきました。

先にも書いたように()私たち夫婦の仲人のお母さんや妹さんは、避難指示区域である福島第一原発の半径10キロ圏内に住んでおられたため、震災後こちらに移って来られました。

私の選挙活動中は、何くれとなく心配をして頂いていましたが、震災後は本当に大変な状況があったそうで、私も一日でも早く当選のご報告をし、おばあちゃんに喜んで頂きたいと思っていました。

プリンスホテルのロビーでは、トレニア(長机)で作られた総合案内があり、そこで面会手続きをすると入館バッヂがもらえます。

おばあちゃん達はもうロビーでずっと待っていて下さり、もう十数年ぶりの感動の再会となりました。私たち部外者は居住区域である上部階には行けないため、かつてティーラウンジだったところで、お見舞いのお話をしました。

おばあちゃんは83才、その娘さんは下半身不自由で車椅子、お二人とも身障者手帳を持つ身だそうで、被災やその後今日までの避難所生活は大変だったでしょうと、水を向けると、お二人は全く屈託のない笑顔で、こちらに来られるまでは、体育館の避難所で、そこから比べれば天国のようだと仰られていました。

しかしながら、ここには6月の末までの2ヶ月しかおれず、その後の居住地探しに難渋しているとのこと。倍率の高い都営住宅を申し込もうにも、2人家族だと1DKの入居制限となる、しかし歩行に制限があるお二人はベットが必須で、そうなると1部屋にベットは二つ置けない、なんとか2部屋がほしいがこれが中々難しいのだそうだ。

こうした状況の中であり、ましてや障がい者という条件もある。どうしてオンデマンドにならないのだろう。○○でなければダメです、など言えるのだろうか?
ある意味お二人は絶対的な弱者言っていい、これらの方を救えない政治って、なんだろうと思います。

こちらの避難所だけで、数百の方々がおられるそうです。この方々それぞれに、こうしたこれからの生活設計の難しさ、課題ががあるのだと思います。

ぜひそれぞれの方が満足のいく今後のプラン設計を、政治は担うべきであると強く感じました。

2時間余それぞれの話で盛り上がった帰り際、その日何度目かの握手をして、またの再会まで元気でとお別れしました。  
Posted by takosuzuki │