2016年07月20日

■「日本を代表する是枝監督の映画/故郷の団地が舞台に」、公明新聞に掲載されました。

公明新聞_2016.7.20記事

本日7/20付けの公明新聞に、清瀬が舞台となった是枝監督の映画「海よりもまだ深く」に撮影協力したことについて、紹介掲載されました。
日本を代表する是枝監督の映画/故郷の団地が舞台に/企画展、トークショーなど上映を機に市をPR/公明がネットワークで撮影に協力
【東京・清瀬市】

日本を代表する映画監督である是枝裕和氏が、夢見た未来とは違う今を生きている“元家族”を描いた映画「海よりもまだ深く」。ロケ地となった東京都清瀬市では、同作品の全国公開(5月21日から)を記念して、企画展やイベントを開催するなど、シティプロモーションに力を注いでいる。推進してきた清瀬市議会公明党(西畑春政幹事長)のメンバーは14日、ロケ地となった市内の旭が丘団地を訪れた。

「海よりもまだ深く」の撮影は、是枝監督が9歳から28歳まで実際に住んでいた“第二の故郷”である、旭が丘団地を中心に行われた。是枝監督がインタビューで「自分の記憶の中にある団地の表情をちゃんと残しておきたかった」と語っている通り、作品には団地暮らしの何気ない日常が、細部にわたり映し出されている。

5月にフランスで開催されたカンヌ国際映画祭では、「ある視点」部門に出品され、上映後には約7分間、会場の拍手が鳴りやまず話題になった。阿部寛氏や樹木希林さん、真木よう子さんら豪華キャストと共に多数の清瀬市民もエキストラとして出演している。

市郷土博物館(五十嵐弘一館長)では、映画公開に合わせて「海よりもまだ深く×是枝裕和展」を開催した。これまで是枝監督が手掛けてきた「そして父になる」などの作品案内や、「海よりもまだ深く」の各シーン、是枝監督が清瀬市に住んでいた頃の市内の様子などを写真パネルで紹介した。

同館によると、6月4日から19日までの開催期間で計2662人が来場。五十嵐館長は「通常の企画展の倍近い来場者数」と語っていた。

このほかにも清瀬市は、市民向けの試写会や是枝監督を招いてのトークショーの開催、近隣映画館での割引券付き「ロケ地周辺マップ」を製作するなど、同作品を盛り上げた。

自身もエキストラとして撮影に参加した、旭が丘団地自治会の中桐健二会長は「団地の皆さんが、阿部寛さんとバスに乗るシーンに出演し、カンヌデビューしました。残念ながら私は映っていなかったのですが(笑)。少子高齢化が進み、空き部屋も目立つようになった団地にとって、明るい話題となりました」と振り返った。

市議会公明党のメンバーは「市民が自分たちの街に誇りを持つとともに、市外の人たちに清瀬市を広く知ってもらうきっかけになれば」と期待を寄せた。
    ◇
2014年の春先、映画の制作担当者が、撮影許可を得るため、清瀬市の野塩団地(都営)を訪れた。このとき、同団地の自治会長だった公明党の鈴木隆司市議は、是枝監督が旭が丘団地(UR)や野塩団地での撮影を強く希望しているが、管理者であるUR都市機構と都住宅供給公社が難色を示しているという話を聞く。

鈴木市議は、それぞれを所管するのが国土交通省と都であることから、すぐに制作担当者に公明党の太田昭宏国交相(当時)と谷村孝彦都議を紹介。公明党のネットワークで両団地の撮影許可が得られるよう尽力した。また、清瀬市の担当者にも引き合わせ、市の全面的な協力を取り付けた。こうして撮影は、同年5月にスタートし、1カ月半にわたって行われた。

鈴木市議は今年3月の定例会においても、同映画公開が「絶好のシティプロモーションの機会」と強調し、効果的な活用を要望。市内での特別試写会の開催やロケーションガイドマップの製作などを提案していた。

『海よりもまだ深く』全国公開中』
【ストーリー】笑ってしまうほどのダメ人生を更新中の中年男、良多(阿部寛)。15年前に文学賞を1度取ったきりの自称作家で、今は探偵事務所に勤めているが、周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳している。元妻の響子(真木よう子)には愛想を尽かされ、息子・真悟の養育費も満足に払えないくせに、彼女に新たな恋人ができたことにショックを受けている。そんな良多の頼みの綱は、団地で気楽な一人暮らしを送る母の淑子(樹木希林)だ。

ある日、たまたま淑子の家に集まった良多と響子と真悟は、台風のため翌朝まで帰れなくなる。こうして、偶然取り戻した、一夜限りの家族の時間が始まるが――。

※上映劇場・時間の詳細は公式サイト(http://gaga.ne.jp/umiyorimo)で。一部上映が終了している劇場があります。
(2016年07月20日 7面)
  
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2016年07月19日

●「中里団地入口バス停建屋の修復を」実現しました。

「中里団地入口バス停建屋の修復を」実現しました。

梅雨真っ只中の6月の下旬、かねて修復中だった中里団地入口バス停の建屋が完成しました。一昨年2月の大雪で建屋の屋根部分が崩壊してから、丸2年半。また、今年の2月に修復工事が始まって、半年。地域の皆様には、本当に長らくお待たせを致しました。

中里団地バス停上屋

今回修復にあたってくださったのは、都や西武バス等との折衝にあたられたのが道路交通課。また、修復の実務をしてくださったのが総務課営繕係です。道路交通課長が完成の報告に来て頂いた折り、地元中里団地自治会の皆様とともに喜び合いました。

この建屋修復までの道のりは、大変に困難を極めるものでしたので、一応、これまでの経過を記しておきます。

中里団地バス停上屋_Before

中里団地バス停上屋_Before

中里団地バス停上屋_Before

一昨年2月の大雪で建屋の屋根が崩壊しました。他党の議員が直後の3月議会にて修復を質問しました。が、そもそもこのバス停建屋が都の許可を得ずに市民によってつくられたものであること。また、新しい都道が建設される予定地であることから、新たに修復しても無駄になる。よって修復はできない、概要このような答弁でした。

中里団地自治会の皆様も別に市へ修復の依頼に来られ、市も修復へ動きましたが、都の許可を得ずに建てているため、もし修復する場合、改めて都への許可を得、道路使用料を払うとともに、これまで数十年無許可で未払いだった料金も遡って払わねばならないということも出来しました。

こうしたことから、完全に建屋の修復はとん挫したのです。

その後、中里団地自治会の役員の方々より私にもご相談があり、担当課である道路交通課や、最終的には市長や副市長をも巻き込んで、どうしたら良いか検討を重ね、都へも粘り強く折衝して頂きました。そして、ちょうど一年前、中里団地自治会の皆様と再度、市長のもとへ修復のお願いをしました。

バス停の補修について中里団地自治会の方々が陳情にみえました。 2015.7.15記事

その結果、都との交渉も突破口が開けました。都からは遡っての使用料の請求はしない、今後の使用料のみでいいという回答を得、また、修復も屋根部分は専門の業者に委託するが、それ以外の壁部分は我が市の誇る営繕部隊にやって頂くという方法で、修復を決定して頂くことになったのです。

中里団地バス停上屋_Next

今年2月に屋根部分は設置されました。道路脇の構造物はいろいろ制限があり、高さは以前よりも高い位置になりました。その結果、当初予定していた屋根の大きさでは、雨風をしのげないことが分かり、急きょ、屋根部分の大きさを1.5倍にして頂くことにしました。それとともに、風よけとなる後ろの壁部分の修復、古く壊れかけていたベンチの修復もお願いしました。上写真は、当初の小さい屋根の様子です。

中里団地入口バス停の屋根が補修されました【速報】 2016.2.17記事

中里団地入口バス停の屋根が補修されました【続報】 2016.2.19記事

そして、屋根が大きくなり、後ろの壁部分、ベンチの修復もできました。が、後ろの壁部分がこれでは横からの雨風が吹き込んでくることから、もう少し高くするとともに、横にも囲い込むように壁の増設をお願いしました。

中里団地入口バス停の屋根が補修されました【再続報】 2016.5.13記事


中里団地バス停上屋_After

中里団地バス停上屋_After

中里団地バス停上屋_After

そしていよいよ、6月の下旬、待望の完成となったのです。後ろの壁は本当は屋根とピッタリくっつけて隙間を無くしたかったのですが、風を逃がす隙間がないと大風で倒壊してしまう恐れがあったので、そのために隙間ができてしまいました。

屋根部分以外は、壁やベンチ、すべて営繕係の作品です。ご尽力を頂きました、道路交通課や修復の突破口を開いてくださった市長や副市長、心より御礼申し上げます。

ある議員は、最初に屋根部分ができたおり、私が実現しましたとチラシをうっておられましたが、この修復完成には、地元自治会の強い要望と関係部署の粘り強い交渉など、様々な方々のご尽力をあってできたことなのです。簡単に私がやったなどど言ってほしくありませんし、地元自治会の方々も大変に憤慨しておられました。

ものごとは簡単には実現しませんが、だからと言って諦めてしまえばそもそも実現しません。実現不可能のような案件は様々ありますが、今後ともあきらめずに頑張ってまいります。

中里団地バス停上屋

これまでの経過は、以下の議会答弁でも詳しく書かれています。ご覧ください。

【関連】
中里団地入口バス停の修復を 平成27年度12月議会  
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2016年07月18日

■「社会を明るくする運動/きよせひまわりコンサート」に参加しました。

社会を明るくする運動「きよせひまわりコンサート」

去る7/15(土)、「社会を明るくする運動/きよひまわりコンサート」がけやきホールにて行われました。これは清瀬市の保護士会の他、民生・児童委員協議会や薬物乱用防止会、青少協等々が協力をして開催される毎年の恒例行事です。

今年のコンサートは、清中吹奏楽部(上写真)や、清明小吹奏楽クラブ、都立清瀬特別支援学校高等部音楽部のみなさんがとても素晴らしい演奏をご披露頂きました。

社会を明るくする運動「きよせひまわりコンサート」

またそれに先立つ開会式では、渋谷市長が最近の清瀬市の明るい話題をお話されました。「社会を明るくする」とは、まさに市長のように我が清瀬市を、我が地域を明るくすることです。そのためには、我が街を、地域を好きになることです。最近、映画もあり、清瀬がとても話題になっています。もっともっと素敵な街にしていきましょう。

【関連】
「社会を明るくする運動/きよせひまわりコンサート」に参加しました。 2015.7.15記事
恒例、「社会を明るくする運動/子どもコンサート」に参加しました。  2012.7/21記事
社会を明るくする運動/子どもコンサートに参加しました。  2011.7/11記事  
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2016年07月09日

■竹谷とし子へ皆様の絶大なるご支援を!!

竹谷とし子参院議員

乾坤一擲の参議院選挙も本日最終日となりました。いよいよ明日は投票日です。長い長い選挙戦を、この広い広い東京中を駆け巡り、竹谷とし子さんは精一杯、皆様へお訴えをさせて頂きました。是非、皆様の絶大なるご支援を宜しくお願い致します。

上の写真は、7/1(金)清瀬駅北口にて行われた竹谷とし子さんの街頭演説会の模様です。非常に厳しい戦況の中を、必死のお訴えをされていました。

竹谷とし子を清瀬にお迎え

その後、市内の製菓店工場に足を運んで頂き、ここでもお一人お一人に親しく声をかけて頂きながら、お訴えをされていました。

竹谷とし子参院議員と

竹谷とし子さんはかつて公明党清瀬市議団とも懇談の時間をもって下さり、清瀬市の抱える諸問題について、真剣に耳を傾けてくださるなど、国のことのみならず、東京のことまた三多摩のことを一緒に悩んでくださいます。上の写真は2014年3月、わざわざこちらまでお越し頂き、私たちとの懇談後、記念に撮って頂いたものです。

竹谷とし子参院議員

とりわけ私にとっては、今回の選挙戦に兄の長男(つまり私の甥っ子です)が遊説ボーイズ(私が勝手に名づけました)の一員として参加させて頂いていることから、より一層力の入ったものとなりました。

兄が3年前に突然この世を去った後、残された母や妹を守り、彼はこの3年間必死に戦ってきました(竹谷とし子さんはその葬儀の際に弔電を寄せてくださいました)。自身の信仰にひたむきに頑張るこの3年間のなかで、彼は今回の選挙選にも遊説のメンバーとしてエントリーし、その一員に加えて頂きました。彼が竹谷とし子さんの大勝利へ懸命に叫ぶ姿を見るにつけ、無愛想だった亡き兄が笑顔で見守っているような気がします。

そして、今回の戦いを通して、彼はまた一段高いステージに昇っていけるものと確信しています。

選挙戦もあと少し。そして審判の日。皆様方の絶大なるご支援を竹谷とし子に賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

  
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2016年07月04日

■J:COM「たまろくと人図鑑」に渋谷市長が出演しました。

Jcom_多摩六都ひと図鑑

ケーブルTVであるJ:COMの「たまろくと人図鑑」という番組では、週変わりで多摩六都(5市)で活躍する著名人を取り上げインタビューしています。先週(6/27〜7/5)放送分では、我らが渋谷金太郎市長が出演し、清瀬市のことやご自身のことなど幅広くお話をされました。

Jcom_多摩六都ひと図鑑

インタビューを受けているバックには、映画「海よりもまだ深く」のパネルを飾って頂き、また、市長ご自身がトップ外交で取り組まれている「世界医療文化遺産」登録へ向けての取り組みなど、市長の熱い熱い思いの伝わるお話でした。

やはり地元を取り上げて下さるローカルメディアって、とてもいいですね。J:COMやFM西東京が電波媒体ですが、私はかねてコミュニティFMを立ち上げてはと提案しています。J:COMさんと協力して、独自番組をもってもいいですよね(市内のスポンサーを見つけてですが)。

今後ともしっかり取り組んでまいります!!

なお、これらの写真は一部Wさんよりご提供頂きました。心より御礼申し上げます。  
Posted by takosuzuki │