2022年05月31日
■「子育て家庭 訪ねて支援」、公明新聞に掲載されました。
去る5/27(金)付けの公明新聞6面に、「物価高対策を要望」として先日の市長への要望書提出の様子を記事にして頂きました。
【関連】
■原油価格・物価高騰から市民生活を守る要望書、提出しました。 2022年05月17日記事
Posted by takosuzuki
│
2022年05月17日
■原油価格・物価高騰から市民生活を守る要望書、提出しました。
ロシアによるウクライナ侵攻による原油価格の上昇など、市民生活はますます厳しくなってきました。その対策として、政府から地方創生臨時交付金の活用をとの措置を受け、公明党市議団として市に対し、「原油価格・物価高騰から市民生活守る地方創生臨時交付金の使途に関する要望書」を提出しました。
Posted by takosuzuki
│
2022年05月14日
★今後の市政運営について/令和4年3月議会
渋谷金太郎市長のご逝去を悼む
渋谷金太郎市長のご逝去に当たり、公明党を代表し心より哀悼の意を表します。
渋谷市長は、明るい方、ヒマワリのような方でした。おなかの底から発せられる張りのある大きな声、喜びに満ちた満面の笑顔、天災や事故など、不条理なものに対する憤怒に満ちたお顔、市を動かすルーティンな実務は全て信頼する副市長、職員に任せ、市長の最大の責務は、何としてもこの愛する清瀬市を、そして市民を元気にせずにはおられない、明るい希望に満ちたまちにしなくてはならないといった気持ちがいつも充満している方でした。清瀬を愛する、そしてかの地に住まう市民を愛する、この1点は誰にも負けない市長であられました。
そうした思いから、議会の場でも、清瀬讃歌を歌い、成人式や敬老の集いなどでピアノを弾き語り、百寿を迎えられた方を抱き上げられたこともありました。形式にこだわらず、欺瞞の言葉を嫌う。心の籠もった真実の思いをぶつける。裏表のない真っ正直な方でした。そうした天衣無縫なお姿を多くの市民が愛し理解し評価していたことは、3年前の選挙結果が示すところです。本市の実務を副市長に任せていたことから、市政には関心がないなどとの声もありましたが、決してそんなことはなく、本市をよくするための知識や情報がないか、誰よりも新聞や書籍に目を通し、そしてまたそれを議会の場で開陳したり、懇談の場などでご披露いただくこともありました。何より議会での、どんな会議でも、この11年間、決して居眠りをしていた姿を見たことがありません。それは相向かいに座る私たち議員がよく知るところです。個人的な思い出は様々に去来し尽きることはありませんが、この11年間、渋谷市長が命を削ってまでなし遂げたこと、そしてなし遂げたかったことを、今後選ばれる新しい市長とともに継承し実現していきたいと決意をしています。どうぞ安らかにお休みください。
今後の市政運営について
それでは通告に従いまして公明党を代表し、提案と質問をさせていただきます。本来であれば、渋谷市長がまず目標とされていたであろう3期12年の集大成としての最後の1年、令和4年度の所信表明をお聞きし、それについてお伺いしたかったところですが、それはかなわぬこととなりました。しかしその悲しみは悲しみとして涙を拭きつつ、清瀬市は今後どうなっていくのか、そしてどうしていくのかについて考えていかなければなりません。まずは、これまでの渋谷市政を振り返り、改めて渋谷市長の功績と今後も継続していくべき市政運営の在り方についてお聞きしてまいります。
言うまでもなく今後の市政運営は、1か月後に選ばれる新しい市長と共につくっていくことではありますが、まずは渋谷金太郎市長の下で、この11年間、どういった点で清瀬市が発展したのか検証し、そしてこれから選ばれる市長にはそうした点をしっかり理解し、継承すべきところはしっかり受け継いでいただく。それができる方に市長になっていただきたい、そんな思いでお聞きをいたします。
私は、今から3年前、渋谷市長が2期の任期を満了し、いよいよ3回目の審判を受ける直前の平成31年3月議会にて、今回と同様渋谷市政の2期8年の総括として、市財政、職員のモチベーション、市民評価の3点からお聞きしました。今回も、評価基準は変えずに、本市の実務トップへ、その総括をお聞きいたします。ご所見をお伺いいたします。
【答弁/今村統括監企画部長】
私からはまず、今後の市政運営について、渋谷市政の総括で、市財政の観点からお答えいたします。
渋谷市長が就任した平成23年5月は、その1か月半前に東日本大震災があったことから、公共施設の耐震化が社会問題となっておりました。そのような中、市民の命を守ることを最優先とし、いつ起きるか分からない大地震や台風といった自然災害による被害を最小限にとどめるため、耐震性の不足が課題となっていた公共施設の耐震化を進めるとともに、防災の拠点となる新庁舎の建設を進めてまいりました。
一方、こうした多額の財政需要がある中でも、財政の健全化に努め、基金については、渋谷市長が就任する前の平成22年度末の基金残高は、財政調整基金が10億7,660万円、基金合計残高が18億1,712万円でございましたが、令和3年度末の基金残高は、財政調整基金が12億2,436万円、基金合計で35億2,568万円となる見込みであり、平成22年度末と比較すると、新庁舎の建設などがあった中でも2倍近くの残高を確保しております。これは、厳しい財政状況の中でも、民間委託の推進や未利用公有財産の売却や貸付けなど、行財政改革を進めることによって財源を確保したことによるものでございます。
また、市税収入は、平成22年度末では90億9,485万円であったのに対し、令和2年度末では99億611万円と過去最大となりました。個人均等割納税義務者も約3,000人増え、渋谷市長が重点施策として掲げていた子育て支援の各施策によって、清瀬が子育てしやすいまちであると認識されてきた結果であると考えております。
このように魅力的なまちづくりを進める中で、市税収入が伸び、同時に歳出改革を行った結果、国の示す財政指標で、将来の財政を圧迫する可能性の度合いを表した将来負担比率は、平成22年度決算が71.4%であったのに対し、令和2年度決算では41.9%と29.5ポイント改善いたしました。
また、公債費による財政負担の度合いを判断する指標である実質公債費比率は、平成22年度決算では5.0%だったのに対し、令和2年度決算では3.7%と1.3ポイント改善いたしました。
このように、住民の福祉の増進と財政健全化の両立による着実な財政運営を行ってきたものと考えております。
【答弁/瀬谷真市長職務代理者副市長】
私からは、今後の市政運営についてお答えいたします。
渋谷市長の突然の訃報は、私たち職員にとっても、とても辛いものでございました。昨年の2月22日には、中澤副市長が亡くなり、今年の2月14日には、渋谷市長までもが亡くなってしまうという、1年もたたずに、お2人のリーダーを失ってしまいました。立て続けにリーダーを失うことで、議員の皆様や市民の皆様には大変なご心配をおかけしていることと思います。
こんなときだからこそ、私たち職員は、一致団結をし、しっかりと前を向いて、清瀬市民の幸せのために、市政に取り組んでまいりたいと思います。
来月には、新しい市長をお迎えることすることになりますが、渋谷市長の遺志を継ぎながら、よりすばらしい清瀬市へと、引き続き努力をしていきたいと思います。
そういう意味では、渋谷市長の11年間の功績をしっかりと振り返るというようなことは、とても意味のあることだと思います。
渋谷市長は、清瀬市初の民間経営者出身の市長とし、新しい発想の下、清瀬市を大きく成長させてくださったと思っております。例えば、清瀬市は昔から病院のまちというようなことで暗いイメージがありましたが、結核療養とともに歩んだ歴史に光を当て、自らを投げ打って結核に立ち向かった医師や看護師などの医療従事者の心意気と、結核患者を受け入れた清瀬市のすばらしさを強調し、誇り高いイメージに変えたり、好きだよ清瀬と、清瀬のまちの情景のすてきな歌手を表現した清瀬讃歌を様々なところで、自ら演奏し、歌いながら紹介をしてくださったり、ひまわりフェスティバルでは、自ら真っ黒になりながら、雄大な自然のすばらしさを、見に来てくださる方々の安全を、ひたすら心配してくださったりしておりました。このような、渋谷市長の言動が、多くの市民の清瀬に対する郷土愛の醸成につながったのだと確信をしております。
また、お尋ねの三つの観点のうち、市財政面からは先ほど今村部長よりお答えをさせていただきました。
職員のモチベーションの観点から振り返ってみますと、渋谷市長は、何よりも現場力を大切にする方でした。現場に力のある組織は、必ずよい結果を生み出すという信念の下、本当に職員を大事にしてくださいました。朝登庁すると、まず健康センターの前で車を降り、健康推進課から、産業振興課、介護保険課と、それぞれの職場を回って、職員一人一人に声をかけてくださいました。それが終わると、本庁1階の市民課から、ぐるーっと3階までくまなく職場を回り、みんなに声をかけてくださいました。ときには、職員からの相談にじっと耳を傾けてくださり、励ましてくださったりもしました。職員からすると、本当に心強かったと今思い起こしております。
また、清掃作業員や保育士、営繕担当の職員など、現場で頑張っている職員たちにも、実際にその場に行って激励をしてくださり、いつもよくやってくれてありがとうと声をかけてくださいました。柔軟な発想の若手職員に対しても、よく話を聞いてくださり、前向きに物事が進んでいくなどの報告を聞くと、よーしよーし、その調子だと力強く後押しをしてくださいました。そんな中から、30代の管理職や30代前半の係長がたくさん出てきたのも、仕事に対するモチベーションを上げてくださった渋谷市長の人材育成のたまものだと思っております。
市民の評価という観点から振り返ってみますと、渋谷市長は、まちづくりの基本理念である、「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」を自ら実践する方でありました。渋谷市長は、市民の皆さんに喜んでいただきたい、元気になっていただきたい、幸せになっていただきたいと、全力で職務に取り組んでおられました。市民の皆様から声をかけていただいた集まりや会合には極力出席をし、あの大きな声で挨拶をし、清瀬の魅力を多くの皆さんに伝えてくださいました。清瀬のまちの中では、至るところで、とても人気者でありました。敬老大会などでは、自ら思い出のアルバムや青い山脈などのピアノの演奏をしたり、ひょっとこ踊りを自ら披露したりなど、参加された皆さんは大喜びでした。市制施行50周年の記念式典では、清瀬讃歌を自ら伴奏されたことは、私たちの記憶に新しいところでございます。
とにかく、市民の皆さんに喜んでいただき、元気になっていただき、幸せになっていただくために、努力や労力を全く惜しまない方でした。ときには、その純粋さと無垢さで、市民の方々に誤解を招くこともございましたが、多くの市民は、大きな清瀬愛を持って先頭に立って引っ張ってくださった渋谷市長の姿を見、郷土を愛するという心が高まり、清瀬はすばらしいまちだと認識をしてくださったと私どもは確信をしております。
渋谷市長が亡くなった今、「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」実現のために、誠心誠意尽くされてきた渋谷市長のこの思いを、私たちは、しっかりと引き継いでいかなければいけないと強く感じております。
今回、渋谷市長の席には、大変にきれいなヒマワリの花が飾られておりまして、季節としてはまだ桜も開花していないこの時期に、このヒマワリの生け花が飾られているというところも、事務局がご用意いただいたんだと思うんですが、こうしたところにも渋谷市長の育まれた職員の方の一つのね、気配りの結実が見れるなというふうにも思います。
今、今村統括監、そして副市長からるる、この渋谷金太郎市長の11年間の業績、実績をご披露いただきました。この金太郎市長の印象というところだけではなくて、また数字として、事実として、しっかりご答弁いただいた。これは、今後この議事録に残すことによって、歴史にしっかり残していきたいという思いで質問をさせていただきましたので、特段これに対して私が再質問することはないわけですが、また副市長の今のご答弁も大変すばらしいご答弁で、もう、ありがとうございます。
かねて私も申し上げましたが、この渋谷金太郎市長というのは、本当に哲人、哲学の哲の人です。哲人政治家だったなと思っていまして、この哲人政治家として市長が残されたものは、市政運営におけるノウハウとか、そういったことではなくて、ある意味私は思想なんだと思っています。
それは、一つは市民、民衆、大衆こそが主役であり、その方々を元気にしていく、勇気づけていく、幸せにしていく、それが政なんだよということ。市長や副市長、そしてまた部長、課長が偉いということではないんだ。議員が偉いんだ、そういうことではない。表には見えない、陰で汗を流している現場の方々が偉いんだ、名もない職員が偉いんだ。そういう人に光を当てていく、そういう組織にしていくんだということ。そしてまた、そうした方々に報いていくためには、体裁ではなく真心で、全身全霊を使ってでも励ましていく。それがリーダーであるということ。こうした思想を、ぜひまた市長、次に市長になられる方にはご継承をいただき、そのレガシーを大事にしていただきたいと思っています。
今般のウクライナにね、ウクライナへの侵攻、戦争においても本当に思うことですが、やはりリーダー、指導者というのが本当に大事なんだなということを思います。それはこの清瀬市においても、そういうことでありまして、昨年の中澤副市長のご逝去のときにも本当にそう思いましたが、車の両輪の一つが欠落しても大変につらかったところで、また大黒柱たる渋谷市長が亡くなってしまった。今現在リーダーがいない、あるじのいない家になっていますが、一日も早い新しいリーダーというのを迎えていかなければいけない。
その市長には、この渋谷市長のレガシーを引き継いでいただき、もちろん新しい市長には新しい市長なりのやり方、カラーというのがあるかとは思うんですが、まずはこの渋谷市長のレガシーを引き継いでいただきたいと思っています。
ちょうど3年前の3月議会で、この春、その春には、もう1か月後には選挙があるというこの2期のね、3年前の選挙は大変な選挙だったわけですが、そのときにやはり私は代表質問として、渋谷市政2期8年の総括をしたわけです。
そのときに、実は、市長がご答弁いただいた内容というのが大変に何ていうか示唆的で、ここでちょっとご紹介をさせていただきます。
斉藤正彦議員の告別式の弔辞でもお話ししたように、僕は不思議な展開で政治の世界に引きずり込まれたなと思っています。ちょうど、斉藤正彦議員が亡くなられたばかりの頃で。この政治に入っていなければ、いまだ専門学校の講師を続けていたと思います。2年間で500人教えましたから5,000人は超えているんです。それぐらいの気持ちでやっていましたから市長になることは、私の人生の目標ではありませんでした。
しかし8年前に星野前市長から、後継者として指名されて覚悟しました。残りの人生公のために差し上げますと誓って、市長選に挑みました。そして東日本大震災で日本中が混乱する中、市長に就任しました。
大変でしたよ。放射能でみんな脅えていて、市長会の決定では、国都の動きを待とうということでそれを守らなければいけないんだと思って苦しかったです。でも病院のまちだし大学のまちだし研究所もあるし、どこか、放射能測定器のことですが、どこか持っているだろうということで、明治薬科大学が、放射線の専門の先生が、学長や理事長の許可を得て、しっかり清瀬市に協力してくれたわけです。お金なんか一切払っていません。それくらいやれた市はないと思います。
以来8年間、私は市民の皆さんに喜んでいただきたい、元気になっていただきたい、幸せになっていただきたいと全力で職務に取り組んできたつもりです。そして市民の皆さんからも元気をもらうと喜んでいただいた声をよく言っていただきました。
私は就任当初から現場力を大切にしていきたいと職員に伝えております。現場に力のある組織は必ずよい結果を生み出すと確信しているからです。会社の創業社長ですから社員が本気にならなくて現場が主役にならなくて、そんな会社は倒産します。自分で十分分かっています。だから社員を大事にする。職員を大事にする。そうすると社員がやる気になっていろいろなことに挑戦的になってくれる。その思いのとおり、それぞれの現場が市民の皆さんの福祉向上のために、大きな力を発揮してくれています。そうした現場の動きが、さらに円滑になるよう、いろいろなところに自ら出向き、多くの方々との絆を深め、それらを結びつけることで新たな可能性をつくり出してきました。
そう、まだあるんですよね。これは1回目の答弁で、その後また私も、るる申し上げて、最後にご答弁された内容が、最後に市長何かありますかということで、ご答弁を求めたところです。
僕は我欲に染まらずに学ぶ、出会いを大事にする、計算ずくで出会わない、分け隔てなく出会いを大事にしていく。そうすると相手の人が、突然のごとく大事なものを教えてくれたり、またあるいは読んでいるだけで感じるものがあるんですよ。それが自分のエネルギーになっていく。感動したときは、ちゃんとこういうふうに書くんですよ僕はと言って、手帳を出したんです。手帳を出しながら読まれたのは、満々たる生命力で出発、1日1日生まれ変わったように生きる、その人生には干渉もない、愚痴もない、堅実な一歩一歩が必ず偉大な使命の人生となっていく。あるこれは新聞に書かれた、エッセイをご自分で感じられて手帳に書かれた。すごい言葉だなと思って、堅実な一歩一歩、私は特別偉大な人間になろうとしているわけじゃないですよ。堅実な一歩一歩を大事にしていけば、この役割にいるときは、その堅実な一歩一歩が市民の幸せにつながっていくはずだと。そういう信念に思えて、ちゃんとこのままでいこうと思っています。と、こういうご答弁でした。
こうしたこれらの市長、また今るるご答弁でご披露いただきました業績をしっかりと、今ご紹介しました、この言葉を、新たな我々の指標として、遺言と思って、これからも、私たち議員の立場から市政運営に関わっていきたいと思っていますし、新しい市長になられる方にも、ドラスチックに清瀬市を変革していこうということではなくて、現場を、職員を大事にして、新しい、焦らず堅実な市政運営をお願いしたいと思っています。
市長に関しては、以上で終わります。
Posted by takosuzuki
│
★清柳園跡地に洪水を防ぐ貯水池を/令和4年3月議会
長年清瀬市においても、また柳泉園においても、懸案となっていた清柳園について、ようやくその展望を開く上で大きな動きがありました。
清柳園は、今から50数年前の昭和43年に、清瀬市のごみ焼却施設として造られ、その後柳泉園の設置を経て柳泉園に移管した後、昭和60年に廃止されて以降、今日まで長らく有効な利用がされず現在に至っています。
しかし、令和元年10月の台風により、旧施設が破損したことなどを受け、令和2年11月に清柳園解体に向けたロードマップの策定、令和5年度に解体が完了する計画が示されました。そして今年度の実施設計において行われた土壌汚染調査にて、少量とはいえ有害物質の検出がされたため、来年度は新たに土壌汚染状況の追加調査が必要となり、事業の1年延長が見込まれています。
あわせて今後は、いよいよ解体後の跡地利用が議論されていくと思います。どうするにせよ、解体そして土壌入替えに至るまでの大変に費用がかかりますし、それは直ちに構成3市にも影響のあることは間違いありません。跡地利用として考えられるのは、清瀬市が購入し、何らかの本市の施設として利用するか、民間に売却し住宅などとして再開発されるなどが考えられます。清瀬市内にある土地ですから、本市として購入するのが一番よいと思われますが、購入目的が明確でないものを多額の予算はかけられません。また民間に売却しようにも、住宅用としては、河川沿いということや、元焼却施設などということから手が挙がりにくいとも考えられます。
ここでこの土地の特徴を、マイナス面だけでなく優位性ということで考えてみると、かねて申し上げているとおり、柳瀬川沿いにあるため突発的な豪雨対策に貯水池として利用することが最も適していると考えます。であれば購入先は、清瀬市でも民間でもなく、河川管理をしている都ということになりますし、そうした用途であれば公益にも資すると思います。
具体的には、金山貯水池のように、柳瀬川の豪雨時には一時的に河川水を逃がす池にします。そのためには、清柳園の土地だけでは敷地面積が少ないため、隣接する現在の環境課の土地、また野球場も合わせて都に購入いただき、一帯を広く貯水スペースとして使用する。平時における利用方法は、金山貯水池のように親水公園もよいかと思いますが、やはりここは平地として利用できる、野球場と駐車場などとして再整備することで、スポーツエリアとしての下宿地域の価値を高めることもできます。いずれにしても所有者は柳泉園ですから、柳泉園に対してそうしたことを提案してはいかがでしょうか。
そこでお聞きしたいのは、まずは清柳園の解体計画とそれにかかる費用について、今後の跡地利用に係る見通し、清瀬市としての清柳園跡地についての考え方、柳瀬川の豪雨対策における当該箇所の河川計画の現状、ご所見をお伺いいたします。
【答弁/高見澤進吾市民環境部長】
清柳園の解体計画と費用について
初めに、清柳園の解体計画と費用についてお答えいたします。議員ご指摘のとおり、柳泉園組合は、清柳園、旧ごみ焼却処理施設について、令和元年10月、台風19号の影響で傾いた電気集じん機の倒壊防止工事を実施する中で、旧ごみ処理施設本体の老朽化がかなり進んでいたことを把握していました。そのため、柳泉園組合は、構成3市との協議を経て、令和2年11月に、清柳園解体に向けたロードマップを策定し、令和3年度に解体方法や解体費用などの実施設計の策定を行い、令和4年度及び令和5年度において、清柳園本体の解体を行うこととしていました。
概算費用として、建屋解体費用約1億2,000万円、土壌汚染処理費用約4億5,000万円、その他関連経費として約3,000万円、総額約6億円を見込み、その費用に充てるため、清柳園解体事業基金条例を制定し基金積立てを開始したところです。
その後、柳泉園組合は、清柳園焼却施設解体実施設計委託の契約を締結し、施設全体の解体工事に向けた実施設計の策定作業を進めておりましたが、ボーリングによる埋設物・廃棄物性状等の調査により、廃棄物の埋設が敷地全域に及んでいる可能性と、埋設廃棄物が存在する深さにばらつきがあることが判明しました。そのため、その詳細を把握すべく、令和4年度に、清柳園土壌汚染追加調査の実施をすることとし、議員ご紹介のとおり、令和5年度の解体完了を現時点ではこの追加調査により1年延長を見込んでおります。
今後、柳泉園組合は、追加調査の結果を踏まえ、令和5年度中に、土壌汚染処理工事を含めた解体工事の方法を検討し、発注に伴う設計図書等を策定することとし、令和5年度中に構成市と協議の上、再度解体工事の事業スケジュール、工事方法、事業費及び基金積立目標額等を踏まえた解体事業計画を示すとしています。
今後の跡地利用に係る見通しについて
次に、今後の跡地利用に係る見通しについてお答えします。今後の跡地利用については、柳泉園及び構成3市から成る柳泉園事務連絡協議会において、清柳園跡地利用に関する協議をしているところでございます。現在は、柳泉園での利用や民間への売却、また構成市が利用するなどが考えられる想定での意見交換を行っている段階であり、今後検討を進めていくこととしております。
本市としての清柳園跡地の考え方について
続いて、本市としての清柳園跡地についての考え方についてお答えいたします。現状、今後の清掃事業に支障がないように課題整理に努めているところでございますので、それを踏まえながら本市の方針をまとめていきたいと考えております。
議員のご提案の貯水池の用地として東京都に購入していただき整備していただくことについては、そのことにより土壌汚染処理費用が軽減できることとなれば、柳泉園組合の負担、ひいては構成市の負担軽減につながるとともに、平時にスポーツエリアとして利用可能となれば、下宿地域のスポーツ施設の集積という面でのシティプロモーションも期待できることから、実現が可能であれば魅力的な提案と考えております。
一方で、本市の抱えております課題なども踏まえますと、慎重に検討をしていかなければならないとも考えております。
いずれにいたしましても、議員のご提案も含めて、費用負担の軽減も念頭に置きつつ、柳泉園組合構成市と協力をしながら協議を進めてまいります。
柳瀬川の豪雨対策における当該箇所の河川計画の現状について
最後に、柳瀬川の豪雨対策における当該箇所の河川計画の現状についてお答えします。東京都では、近年の台風で溢水被害が発生したことを受け、令和3年4月に、優先的に整備を実施する流域とし、柳瀬川流域を対策強化流域に位置づけ、柳瀬川流域河川整備計画の変更を行っており、現在パブリックコメントを実施しているところでございます。
今回の河川整備計画の変更は、時間最大50ミリ対応の河川を新たな目標整備水準として、時間最大65ミリの降雨に対応するための調節池等を整備する計画でございます。
この計画の中で、柳瀬川においては、小金井街道に架かる、清瀬橋の一つ下流に架かる松柳橋から金山橋までの区間に調節池を整備することとなっており、今回変更する計画の中では下宿地域において調節池を整備する候補地はございませんが、東京都に状況を確認したいと考えております。
清柳園については、かねて我々清瀬市民にとっては懸案事項というか、どうにかならないのかと思っていたところであります。
どうなっていくのが一番いいのかということですが、さっき部長答弁にもありましたとおり、考え方としては、柳泉園で使っていくんだ、また構成3市で使っていくんだ、清瀬市で使っていくんだ、この三つがあって、民間に売るというのもありましたね。構成3市でというのは、清瀬市以外の東久留米市や西東京市は買ってどうしようもないですしね、使いようがないので構成3市はないんです。それから、民間に売るといっても、さっき私申し上げたように、あれだけもういわくつきの土地ですから、万人が知っている焼却、元焼却施設。ですから、これもなかなか民間が買ってくれるとは思えない。買ってくれたとしてもたたかれちゃいますよね。
であるとするならば最後は、柳泉園として使う。先ほど来バイオマスの話もありましたが、今般、柳泉園議会として、バイオマス施設を川越市の視察に行きましたが、そこではいわゆる、本当は渋谷市長がいたら聞きたいところですが、微生物分解をして、それを燃やさずに処理をしていくというお話ですが、そういう人たちと柳泉園としてつくるという考え方もあります。これも柳泉園、というか近隣がそれはちょっと困るという、反対が多くなると思いますので、やはり清瀬市として何とかしていくしかないんだろうと思います。
清瀬市として、では使う場合にはどうすんだと言ったら、お金がない市ですから、もう安く柳泉園から購入して、それでまた何も手加えずに、さくらまつりのための駐車場に使うというのが一番お金かからずにいいんでしょうが、これでは余りにも芸がないといいますかね。
ですので、もう先ほど来、先ほど来だし前も私提案したことありましたが、ここを貯水池として東京都に開発してもらって、前回の私の提案は、下宿市民センター、下宿体育館の下に貯水槽を造って、そこに東久留米市大門町にあるようなスポーツ施設のように、地下神殿貯水池を造って、その上にスポーツ施設を造るということでしたが、やはりそれは数十億お金かかっちゃうので、今回は貯水池として、少し掘り下げて、貯水池ですから掘り下げないと水がたまりませんから、掘り下げるためには、汚染された土壌であろうときれいな土壌であろうと土壌を取らないことには掘り下げられないんだから、これが一番いいだろうという考え方です。
広いところに、野球場を造ったらどうかというのも、これは私かねて、市民の方からご要望いただいていました。清瀬は、サッカーはもうすばらしいところあるが野球場はないんだよ。そしてまたナイターできるところもない。貯水池として整備していただいて、そこに野球場を造っていくという考え方がいいんだろうと思うんです。
金山調節池を一つの参考例にしているわけです。金山調節池もご存じのように、東京都が造って、行政が管理しているということですが、金山調節池は柳瀬川の豪雨対策として自然公園になっているわけですが、要するに自然公園として整備をしたのは清瀬市なのか、東京都なのか、そこら辺がちょっと大変重要なポイントなんです。ここら辺もしご存じのところがあったら、ご答弁いただきます。
【答弁/原田政美都市整備部長】
金山調節池は、柳瀬川の治水安全度の向上を図るために、東京都により、平成5年に整備されたものでございます。
整備に当たりましては、土地の購入ならびに芝生広場や擬木の管理通路、さらには四季を通じて貴重な野鳥が見られるビオトープなど、上物の整備は東京都により行われまして、その後の維持管理につきましては管理区分に従いまして、東京都ならびに清瀬市双方にて実施しているところでございます。
東京都が造っていただいたということで。ですから今回もし、この話が実現する場合、まず貯水池を整備していただいて、清瀬市と協議をしてここを野球場にしたいんですよね。よし、じゃ野球、よしというとどうも渋谷市長になっちゃいますが、やはり野球場にしていただいて、それを清瀬市が管理するというような、この夢物語のような話になりますが。
先ほどのご答弁の中で、今般、柳瀬川豪雨対策として、そもそも清柳橋から、つまり下宿市民センターの先のJRの線路があるところ、また関越の下辺りですかね、あそこら辺から金山橋までの、現状は30ミリ対応、それを、50ミリ工事を今後していきましょうと。
だけれどもそうではなくて、今後のやはり地球温暖化で豪雨を考えると、50ミリでも心もとないと。65ミリまで引き上げようというのが、今般の変更計画の趣旨、先ほどご答弁あったとおりです。
その中でさっきのご答弁では、50ミリ対応の川にして広くするのか深くするのか分かりませんが、それをもっと広くもっと深くということではなくて、50ミリ対応は50ミリ対応の川としてやるんだが、プラス15、65にするわけですからプラス15の分を、どこか貯水池を造って、そういうふうにしていきましょうというご答弁だったですね、それでよろしいですね。
先ほどのご答弁でも、松柳橋から金山橋までの間にその貯水池を造ってというお話でした。松柳橋というのは、中里団地の先っぽのいわゆるアカバケのところに抜けていく橋のことだと思うんですが、あそこから金山橋までの間に貯水池を造るということになると、下流向かって左側はこれ所沢ですから、ね。東京都ということはこっち右側ですから、中里団地があって柿の下住宅があって崖線があって、左側に金山公園見て、これはどう考えてもちょっと貯水池を造るような場所はないんですが、そこら辺具体的な場所はあるんでしょうか。
【答弁/原田政美都市整備部長】
東京都に確認しましたところ、詳細はまだ決まっていないということでございます。先ほど来、議員からご提案いただきました清柳園跡地が、調節池の候補地となるのか、東京都に確認をしてまいりたいと思っています。
だからもし、場所として、候補地として私はよくないんじゃないかと思いますが、だけれどもそういう意味ではタイミング的にも、パブリックコメントを求めるぐらいな、変更をかけている時期ですから、これはいいタイミングだと思うんです。
これ清柳園の、こういういい場所がありますから、ぜひということを、柳泉園を通じて東京都にお願いを、交渉していっていただきたいと思います。今後の交渉を期待しております。
Posted by takosuzuki
│
★高校生の医療費の無償化を/令和4年3月議会
私ども都議会公明党は、昨年の都議選における大きな公約の一つとして、高校生の医療費の無償化を掲げ都民のご信任をいただきました。
言うまでもなく高校生の医療費無償化は、子育ての世帯にとって大変重要な施策であり、大きな都政テーマの一つでありました。しかし全ての行政事案同様、また大きな財源を要することから、簡単な案件ではなく、また今般のコロナ禍への財政対応と相まって、今日まで実現に至らず、都議会公明党にとっても最重要課題として取り組んできたと聞いています。
そうした中、今般東京都の来年度予算方針の中で、それが盛り込まれるとの新聞報道がありました。それは都議会公明党として来年度の予算折衝の中で、これまでの知事部局との信頼関係に基づく地道な提案の積み重ねの結果であろうと思っております。
新聞発表では、このスキームは都と市で2分の1ずつからの拠出となり、東京都では令和5年度実施の方針を示し、令和4年より実施準備として、まずはシステム改修に着手することとしているようです。清瀬市としても、ぜひ実現へ向け、最大限のご検討いただきたいと思います。ついては、令和4年度はそのための準備とし、システム改修を着実に実施すること、そして清瀬市においては、現状の子ども医療費助成制度同様のスキームの中で、高校3年生までの医療費助成の実施を要望いたします。ご所見をお伺いいたします。
【答弁/田村晶子子ども子育て担当部長】
それでは私からは、高校生の医療費の助成についてお答えいたします。
ただいま議員よりご紹介のございましたとおり、先般東京都が子どもの医療費の助成対象を高校生までに拡大する方針であるという報道がありました。これは、昨年の東京都議会選挙で、都議会公明党が公約として掲げた八つの政策目標、チャレンジエイトの一つであるほか、かねてより都議会公明党が東京都知事への要望や議会での議論を重ねてきた政策であると認識しております。
現時点では、東京都から事業の詳細が示されておりませんが、内容としましては子育て支援の充実のため、高校生相当年齢の医療費助成制度の開始に向け、令和4年度に区市町村がシステム改修等の準備を行い、令和5年度から制度を開始できるように準備を進めていくものであるようです。
高校生等の医療費助成は、現行の義務教育就学児医療費助成を参考に、今後制度の構築がなされていくものと思われます。
本市におきましても、東京都の動向を注視し、情報収集や協議を行う中で、遅滞なく制度を開始できるように努めていく所存でございます。
Posted by takosuzuki
│
★シニア層へDXの普及を/令和4年3月議会
デジタル化は高齢者ーの普及で決まる
今後の社会はデジタル化が大きな鍵となることは、今回のコロナ禍でも明らかです。今般、国や都そして清瀬市でも大きなテーマとして取り組んでいるデジタル化推進の動きは、言うまでもなく企業や行政の事務効率化だけが目的ではなく、市民生活の利便層性を高めていくことにほかなりません。
一般的には、マイナンバーカードの普及によって、健康保険証や運転免許証にも使えるなど、様々な用途に使用することができカード利用者の増加によってさらにその利便性の向上を目標としていますが、マイナンバーカードだけではなくスマホやタブレット等も、日常ツールとして使いこなしていくことも大事な点であると言えます。
国民の大多数がマイナンバーカードを持ち、スマホやタブレットを持ち歩くことが、デジタル社会をつくっていくための我々国民、市民にとっての最低限のインフラ整備と言えるのです。
しかしながら社会の大きな構成層の一つであるシニア層には、まだまだデジタル化の壁は大きく立ち塞がっています。今でこそ高齢者の多くは携帯電話を持っていることと思いますが、スマートフォンを持っているのはまだまだ少ない。また持っていても、そこでの使用は通話のみ、メールのやりとりやLINEができる方はこれまた少ないと思われます。
現在本市では、スマートフォン講座などを行ってシニア層へのスマホの使い方を広めようとご努力いただいていますが、そもそもスマホ所持のシニア層が少ないため参加者も少ないと聞いています。
スマホ購入サポートやシニアクラブへのタブレットの配布を
そこでスマートフォンより普及させていくため、購入サポートを行ってはいかがでしょうか。具体的には、スマホを新規購入、またはガラケーからの乗換えの際に補助をつけたり、またその際の乗換え手続をサポートをするなどです。またせっかく購入しても困った際に身近に教えてくれる人がいなければ普及しませんので、各地域のシニアクラブへ1台ずつタブレットを配布し、シニアクラブにおいてデジタルリーダーを養成してもよいかもしれません。その場合には、いこいの家におけるWi−Fi環境整備も課題となります。ご所見をお伺いいたします。
【答弁/渡辺研二福祉・子ども部長】
コロナ禍の影響で、リモートによる活動が推進される中、高齢者の活動に際しても、デジタル化は急務の取組と捉えております。
このため、これまでも、シニアしっとく講座におけるスマホ教室や、一般社団法人きよせ100歳時代がコミュニティプラザひまわりで実施しているパソコン教室の中でも、タブレットを活用した教室に、高齢者の方が積極的に参加していると伺っております。
議員ご提案のシニアクラブへのタブレット配布につきましては、今後の感染症対策も含め、やはり検討していくべき事柄と捉えております。
しかしながら、先ほど議員からのお話をいただいておりますが、Wi−Fi環境の問題などもあり、活用場所が限られることも予想され、各老人クラブの活動内容や一般介護予防事業などの高齢者への事業の拠点を整理し、効果的な対策につながるよう、今後とも研究に努めてまいります。
また、本議会において、市民協働推進事業として500万円の補正予算の審議をいただいているところでございますが、これは、コロナウイルス感染拡大により生じた地域の課題を解決する市民団体などの活動を支援するため、1団体最大50万円を補助金として支給するための経費でございます。感染を避けるために、シニアクラブでタブレット端末を活用し活動をする場合、この補助金の利用が可能となります。
スマートフォンへの乗換えを希望している場合、スマホの配布や乗換え手続のサポートというご提案につきまして、確かに埼玉県の行田市であるとか横瀬町において、高齢者がスマホへの乗換えの際、補助金を支給しております。
今後多摩地区においても、行政サービスとしての導入実績を、注視をしてまいりたいと思っております。
スマホへの乗換え手続のサポートでございますが、通信業者が様々なサービスを提供しており、行政が一元的に把握するのが困難な現状となっております。
個人個人でスマホの利用方法も随分違うと思われますので、乗換え手続につきましては、各通信業者にアドバイスをいただくのが最適ではないかと思われます。
それから、シニア層へのスマホ、タブレットのというお話ですが、一つは、シニアクラブに一つずつあげたらということと、それから買換え補助してもらったらということと、それから、いこいの家にWi−Fiをということです。
このコロナ禍において、各シニアクラブの活動というのが、活動が活発なシニアクラブというのはそこに集まってくる人たちの、特に私の地域のむらさき会なんていうのは活発だったわけですが、もうお互いの顔を見ながら、あなた元気なんてね、そういう健康管理をお互い気遣いながらやっていたところがコロナ禍で一切なくなっちゃった。
だから要するにもしね、そこに、シニアクラブにWi−Fi環境があって、シニアクラブにタブレットがあって、各シニアクラブの会員さんがスマホを持っていたら、ちょっとフェイスね、フェイストゥフェイスの顔でも見てみようかなんて言ってね、LINEで見てちょっと顔色悪いよなんてね、そういうことができるかどうか分かりませんが、これは本来であればシニアクラブこそが、このデジタル社会の恩恵を被るべき人たちなんだと思うんです。
ですからこれもまた要望ですが、ぜひ今後、いこいの家でもWi−Fi環境の整備と、それから各団体に1台ずつのタブレットの配布、そしてまたスマホの買換え事業については、これはもちろん携帯事業者、数々あるわけですから、ドコモ、au、ソフトバンク、こうした事業者とぜひご協力をいただいて、清瀬市はセブンイレブンとか様々な会社と連携協定をしていますから、ぜひご協力いただく中で、価格なのか、そしてまた購入補助なのか、様々な形で協力をいただきながら、高齢者に対するデジタルデバイスの普及を、ぜひ進めていただきたいと思っています。
Posted by takosuzuki
│
★高齢者にやさしい期日前投票所を/令和4年3月議会
昨年は、新庁舎を開庁して初めて、都議選と衆院選の二つの選挙を実施し、期日前投票所を新庁舎2階の市民協働ルームにて行っていただきました。新しい庁舎への関心から、多くの方が期日前投票に来られたことと思いますが、1点ご高齢の方より、旧来の健康センター会場のほうが行きやすかったとの声もいただきました。
新庁舎での期日前投票会場である市民協働ルームへ行く場合、ご高齢の方や歩行に支障のある方は、正面ないし東側通路からご来庁をいただいてエレベーターまで歩き、2階エレベーターから、また1階の倍以上の距離を左折、右折しながら歩かなくてはならないため、バリアフリーの観点からも不適であると言わざるを得ません。その点健康センターの場合、1階施設入り口からエレベーターまでも近く、2階エレベーターから降りてすぐ前が会場でした。
新庁舎1階の市民交流スペースを期日前投票所会場に
そこで、高齢の方や歩行に支障のある方でも不自由なくお越しいただくために、旧来の健康センターを期日前投票所として再開いただくか、または庁舎1階の市民交流スペースを会場として利用できないでしょうか。市民交流スペースであれば2階に上がる必要もなく、西側正面入り口からも、また南側入り口からも至近であり、車椅子での来場も支障はありません。今月末には新しい市長を選ぶための選挙も予定されています。時間はありませんが、ぜひこの選挙から高齢者にやさしい期日前投票所をご開設いただければと提案いたします。
【答弁/高橋仁選挙管理委員会事務局長】
議員よりお話にもありますとおり、令和3年5月に、新庁舎に市役所業務が移行され、その後7月に東京都議会議員選挙、10月に衆議院議員選挙と2回の選挙の執行がございました。
新庁舎で初めての7月の選挙においては、期日前投票所を2階の市民協働ルームに開設し、選挙当日は1階の会議室に投票所を開設し対応したところでございます。
10月の選挙では、期日前投票所は前回と同様の場所に開設したところですが、選挙当日の開設場所については、前回の選挙で開設しました庁舎南側奥の会議室は、庁舎入り口からかなりの距離があることと混乱を避けるため、設置場所を変更しまして、2階の市民協働ルームで行ったところでございます。
このように、新庁舎で2回の選挙行ったところではございますが、1階の会議室や2階の市民協働ルームへの投票会場までの移動距離が旧来の健康センターでの投票所と比較しますと、歩行距離が長く、投票に来られた有権者の方々に負担が生じているものと認識しております。
また、健康センターでの期日前投票所の開設についてのご質問ではございますが、新庁舎の完成に伴い、健康センターの改修により、会議室としての機能が変更されるため、期日前投票所会場としては使用できない状況でございます。
選挙管理委員会としましても、有権者が投票しやすい環境の整備は重要な課題と認識しているところでございますので、今回高齢者にやさしい投票所の開設についてご提案をいただきましたので、この提案の趣旨を踏まえ、選挙管理委員会の席上でご報告するとともに、庁舎を管理しております担当課と相談するなど、1階の開設が可能か、早急に検討してまいりたいと思います。
期日前投票については、ぜひアクセスがいいように、本来であれば駐車場を、前倒しでオープンしてもらいたいところですが、なかなかそうはいかないでしょうから、ぜひ引込線といいますか、西側の入り口から車を横づけにしてこうやって出れるように、あそこだけでも選挙前には使えるようにしていただけるとありがたいです。ぜひこれも、できるようにしてください。要望をいたします。
Posted by takosuzuki
│
2022年05月09日
●「経営戦略を立案する専門部署の設置を」、実現しまた。
議員になって間もない頃に提案した“経営戦略を立案する専門部署の設置を”が、実現しました。
★市の経営戦略を立案する専門部署の設置を。【H23年9月議会】 2011年10月11日記事
私は議員になってまず感じたことは、民間の営利企業との違いです。民間企業であれば、その会社をいかに収益をあげるか、そのための戦略を担う社長を中心とした部署なりチームがあります。会社組織で行う様々な事業は、いかに収益を上げるか、いかに生き残っていくかの一点の目的のために寝られています。
行政の施策もそうあるべきだし、そのためにそうした専門部署を作るべきと訴えたのです。
今でこそ行政にもそうした部署作られるようになっていますし、そもそもそうした部署はなくとも市長部局を中心に行われています。しかし、そうした専門スキルを持って、その業務に専心するチームがあった方が分かり易いと思ったのです。
今般、澁谷桂司新市長が就任後にうたれた手の一つで、対外的にもアピールできるものです。
澁谷桂司市長は、新年度予算の成立後に就任されていますので、新市長としての独自の施策は来年度予算案の中で示されていくことになります。当面は、どうしても大きな予算の伴わないものから手を付けざるを得ません。
そうした制約の中で、今般、市のリーダーとして行政組織体制を変えられたのです。
このチームに期待することは多く、新市長を迎えて初めての代表質問となったこの6月議会、またそこで取りこぼした質問を9月議会にて行っていく予定です。
合わせて、今回の組織改編でこれも私がかねて注視していた「シティプロモーション課」が誕生しました。これまでは庁内を横断するかたちで「シティプロモーション推進本部」がありましたが、それを発展させたものです。これも大変に素晴らしいと思っています。
【参考】
★シティプロモーション推進本部について【H26年9月議会】 2015年02月05日記事
Posted by takosuzuki
│
2022年05月03日
■秋篠宮妃紀子様の清瀬ご訪問。もうひとつのドラマ
去る4月11日(月)、郷土博物館に秋篠宮妃紀子様がご訪問くださいました(正しくはお成りになられました)。皇室の方、特に次の天皇陛下になられる方の妃という肩書の方の清瀬御来臨は、あまり知りません。
もともと紀子様は結核予防会の総裁であられ、そうしたことから清瀬市の結核研究所にお成りになられたことはあるようで、紀子様お手植えの樹木など施設に見たことがあります。
今般、清瀬市郷土博物館で『結核療養と清瀬』なる企画展が行われていたことから、見学に来られたという訳です。
清瀬と結核――。言うまでもなく、清瀬には昭和の初めに当時の亡国病と言われた結核の療養所が作られ、今日でも世界の結核治療のメッカとも言われています。そうしたことを教えてくださったのは、亡くなった渋谷金太郎前市長です。
金太郎市長は、ともすればマイナスイメージで語られがちだった清瀬と結核ということを、“清瀬の誇り”という角度で新たに意義を与えてくださいました。
その意味で、金太郎市長にとっても“結核”というのは、清瀬市の誇りの所以(ゆえん)であり、それを内外に宣揚していくことが市長としてのライフワークでもあったのです。
今般、結核予防会総裁の紀子様が清瀬市にお成りになることが分かったとき、市の幹部職員の多くは、金太郎市長が生きておられたらどれほどお喜びだったであろうかと言っていましたし、私もそう思っていました。
そのような中で、紀子様をお迎えしたのです。
さて、議会には事前にお知らせ頂いており、時節柄そっとお迎えしたほうが良いのかとも思いましたが、皇室を敬う気持ちのある方をお誘いして、遠くからお迎えさせて頂きました。
定刻を少し過ぎて紀子様の車は到着し、お越しをお待ちしていた私たち市民に紀子様はそっとお辞儀をされて中にお入りになられました(一枚目の写真)。
お帰りもお見送りしようと1時間少し外でお待ちしていました。報道によれば中の展示を博物館館長の案内で一点一点丁寧にご覧頂いたようです。
出てこられた紀子様は、そのまま車にお乗りになられると思いきや、10人弱の市民の集まる私たちの方へ真っ直ぐに来られ、小学生やご高齢の方々に時間をかけて丁寧に話しかけてくださり、いよいよ紀子様のお帰りの時間が近づいてきました。
“結核から人類を守った清瀬”。金太郎市長が生前何度も言われたフレーズです。紀子様の御来臨でそうした清瀬の役割を知って頂き、親しく清瀬市民にお声掛け頂き、清瀬と結核のドラマは終わったかに思えたときでした。
――その後、思いがけないもうひとつのドラマがありました。
紀子様は、市民の方々の輪の外れにいた一人の御婦人にお声をかけられました。その方が実は先般亡くなった金太郎前市長の奥様であると知ると、一瞬驚かれ、手をとらんばかりに近づかれました。夫が生きていればどれほど喜んだであろうかと奥様が話されると、紀子様は奥様の肩に手をあてられご一緒に悲しんでくださったのです。
紀子様も昨年の11月にお父様を亡くされたばかりでした。
紀子様の金太郎前市長の奥様への労りは、ときに肩を抱くようにしばらく続きました。そしてお別れの際も何度も奥様へ振り返りながら、車に乗り込まれるまで手を振っておられました。
亡くなるまで結核と清瀬を訴えた渋谷金太郎前市長。その金太郎劇場の最後、クライマックスを紀子様が仕上げてくださいました。本当に劇的な人生を終えられた金太郎市長。
紀子様、本当にありがとうございました。
Posted by takosuzuki
│
2022年05月02日
●野塩地域センター出口にカーブミラーを設置して頂きました。【野塩1丁目】
先日の市長選、市議補選の投票に行かれた方から、野塩地域センターから車で出る時、地域センター左側(東側)が見えづらいとの声を頂きました。
実は野塩地域センターの出入口付近はとても複雑な交差点で危ないとは、私も思っていました。出入口前はクランクになっているうえに、隣接するアパートの入り口もある。しかも幼稚園とドラッグストアの間の狭い道路からは、自転車や歩行者もあるという、注意しなければならないポイントがたくさんあるのです。そのうえそのうえ、隣は保育園、真ん前は幼稚園、しかも地域センター自体も児童館でもあるという、子どものたくさん集まるところなのです。
地域センターを出る際は、すぐ右のアパート入り口、その向こうの道路からの車両や自転車、歩行者を確認しなくてはなりません。
そして、真ん前の狭い道路から来る自転車や歩行者を確認してから、少しずつ前に出て、左側を注意して出て行きます。
地域センターのセンター長からお話を伺いながら、カーブミラーの設置担当課にもご相談し、出入口横にある既存のカーブミラーに共架(きょうが)できそうだということで進めて頂きました。
その結果、すぐにご対応頂き、設置となりました。是非、野塩地域センターにお越しになる際は、出入りにご注意頂きたいと思います。また、この付近をご通行される際は、特に徐行してご利用ください。
【設置場所】
Posted by takosuzuki
│