2019年09月11日

★市長の所信表明より/平成31年3月議会

市長所信表明より

初めに、市長の所信表明についてとして、渋谷市政8年間の総括の意味も込め、お伺いいたします。いよいよ渋谷市政2期8年間が終わろうとしています。来月には私たち議員を含め、市長も信任の審判を受けるわけですが、渋谷金太郎という方は市長としてこの8年間、清瀬市に対し何をなしてきたか、いわば総括の意味も含めてさまざまお聞きしてまいります。

清瀬市は、市政運営の歴史としては渋谷邦蔵市長が36年もの長きにわたりお務めいただいた時代、すなわち昭和34年から平成6年までの、いわゆる日本全体において右肩上がりの高度成長の波に乗った、まさにイケイケの時代からバブルのはじけた時代までにおいて、今日の清瀬市の礎を築いていただきました。

町から市になったのも、この市役所も、また今日ある我が市の基本的な施設などもほぼ渋谷邦蔵市政にてつくられたものです。続く平成7年に任につかれた星野繁市長は、バブル崩壊の真っただ中、荒波の中で安定した市政へと懸命にかじを握られ、4期16年お務めいただきました。長引く不況の真っただ中で行政改革に着手され、財政の厳しい清瀬市の運営を担ってこられました。しかし、荒波の中での航海により、3期目途中で体を壊され、本来であれば3期満了にておりられたかったものが、万やむなく、体調のすぐれないまま4期目最後の4年を務められ、交代の翌年に逝去されました。

そしていよいよ、平成23年東日本大震災という未曽有の災害のあった年、渋谷金太郎市長が着任されました。全国的に震災の傷跡も癒えぬ中での着任であり、政治も経済も真っ暗な、まさにどん底からのスタートとなりました。

早いもので今日、満8年となります。これまで邦蔵市政時代末期に始まったバブルの崩壊から星野市政時代の16年を経て、今日まで約30年を俯瞰し、この渋谷金太郎市長時代の8年間はどんな功績を挙げてきたのか、三つの観点からお聞きいたします。

渋谷金太郎市政で市財政は前進したか?
初めに、市財政の観点からお聞きします。先ほど申し上げたように、前任の星野繁市長も大変に財政の健全化、行財政改革に全力で尽くされてきました。その後を継いだ市長としてこの8年間は、より前進したのか、もしくは後退したのか、数字を挙げてご紹介いただければと思います。

職員のモチベーションは上がったか?
次にこの30年間、3人の市長がかわる中で、その市長に仕える職員の方々のモチベーションはどんな変遷があるのかお聞きしたい。もちろん、モチベーションとはやる気ということですので、悪いことは言いづらいと思いますが、それぞれの市長を比較した場合、よい意味での職員の意識の変化の例などありましたら、ご披露ください。

市民の評価どうか?
そして最後は、市民にとってそれぞれの市長はどう評価されているのか検証してみたい。市政運営はどなたが市長になっても大きく変わることはありません。しかし、自分の住まうその市に対する思いのいかんによっては定住者がふえたり、その結果税収がアップしたりします。

つまり愛郷心がアップすることによってまちへの美化意識が高まり、まちがきれいになり、住みやすくなり、民度が高まり、移住者もふえたりします。市長が市民に好かれているかどうか、ただ単に、市民の好き好きを問題にするのではなくて市長がそうした市民の意識改革にどう寄与しているのか、その観点からお聞きします。

それぞれの市長の市政運営におけるテーマや目標、そして、その効果はどうだったのか、以上三つの観点からお聞きいたします。

【答弁/今村広司企画部長】
それでは所信表明について、市財政の観点からお答えいたします。

渋谷金太郎市政で市財政は前進したか?
未曽有の災害となった東日本大震災があった平成23年に渋谷市長が就任し、市長が掲げる安全で安心なまちづくりを最優先課題として、公共施設の耐震化や雨水幹線整備などに取り組んでまいりました。また、清瀬市の将来を担う子どもたちが健やかに育つよう、待機児童対策や教育環境の改善にも努めてまいりました。

そのほか健康増進策の推進や介護予防事業の充実、農業や商工業への支援による地域経済の活性化、清瀬市の大切な財産である緑地の保全や将来を見据えた都市基盤の整備など、第4次長期総合計画に掲げた将来像の実現に向けて、着実に取り組んできたところでございます。

一方、このような多額の財政需要に対しては、民間委託の推進や未利用公有財産の売却、寄附制度の活用による税外収入の確保など、行財政改革を進めることによって財源を確保してまいりました。

これらの取り組みによって、まず、基金残高を見ますと、市長が就任した平成23年度末の基金残高は財政調整基金が8億7,000万円、基金合計残高が16億5,100万円でございました。平成30年度の基金残高は財政調整基金が15億300万円など、合計で44億3,600万円となる見込みで、平成23年度末と比較しますと約28億円の増額、倍以上の基金残高となっております。

今後も老朽化した公共施設の改修などの行政課題に対応するために、計画的に積み立てていく必要があると考えております。

また、財政健全化の観点から申し上げますと、国の示す財政指標で将来の財政を圧迫する可能性の度合いをあらわした将来負担比率は、平成28年度決算では62.1%であったのに対し、平成29年度決算では23.4%と38.7ポイント改善いたしました。また、公債費による財政負担の度合いを判断する指標である実質公債費比率は、平成23年度決算では5.2%であったのに対し、平成29年度決算では4.1%と1.1ポイント改善いたしました。

このような市財政の健全化は、地方債の発行基準を定めるなど、財政規律の堅持や計画的な基金の積み立てなど堅実な財政運営が実を結んだものと考えております。

【答弁/松村光雄総務部長】
所信表明の職員の視点からのご質問に答弁を申し上げます。

職員のモチベーションは上がったか?
市長は就任当時から職員が自ら政策を遂行できるような環境を整えて、活気のある職場にするため、ボトムアップを一つの軸として現場力を重視した人材育成を目指してまいりました。

こうした市長の指針を受け、企画課では、平成9年に制度化したものの、平成16年度以降は実質的に休眠状態となっていた職員提案制度を平成27年に制度の一部改正を行い、復活させたところでございます。平成27年度は5件、平成28年度は11件、平成29年度は9件、平成30年度は6件が職員により提案をされております。

また、若手職員が管理職と懇談を通じて部課長の抱く清瀬市のまちづくりへの夢や抱負などを知ることで、まちづくりの楽しさに気づき、挑戦する姿勢や政策立案能力を育むことを目的として、まちづくり懇談会、通称まち懇を平成19年から開催しております。

平成30年度には、他市の管理職を講師として招き、講演会を実施するなど、さまざまな考え方に触れる機会をつくっていることから、若手職員の意識改革の一助になっていると考えております。

また、職員課では、市長の掲げる26市一番の窓口を目指す取り組みとして、民間企業で今まで数多くの接遇マナーサービスなどの講師をしている方を調査員として迎え、実際に窓口及び電話対応の事前調査を行い、その後に報告会、接遇研修、事後調査といったプロセスの中で窓口電話調査接遇研修を実施しております。あわせて総務課では、花のまちづくり事業の拡充を目的とした養蜂事業の実施、今まで処分費を必要として廃材を活用したウッドチップ化事業を進めるのを初め、平成30年度にはセブンイレブンの地域活性包括連携協定を活用した蜂蜜関連商品の販売で清瀬市をPRするなど、先駆的な取り組みも行えるようになってまいりました。

こうしたことから徐々にではありますが、現場力は向上していると考えており、ボトムアップ組織に向け、人材育成に努めていきたいと考えております。

【答弁/渋谷金太郎市長】
斉藤正彦議員の告別式の弔辞でもお話ししたように、僕は不思議な展開で政治の世界に引きずり出されたなと思っています。この政治に入っていなけりゃ、いまだに淑徳専門学校の講師を続けていたと思います。2年間で500人教えましたから、5,000人を超えているんですよ。それくらいの気持ちでやっていましたから、市長になることは私の人生の目標では全くありませんでした。

しかし、8年前に星野前市長から後継者として指名されて、覚悟をしました。残りの人生、公のために差し上げますと誓って市長選に挑みました。そして、東日本大震災で日本中が混乱する中、市長に就任しました。大変でしたよ。放射能で皆さんおびえていて、市長会の決定では、国、都の動きを待とうということで、初めての市長会の決定で、国、都のと言われて、それを守らなければいけないんだなと思って、苦しかったですよ。

でも、病院のまちだし、大学のまちだし、研究所もあるし、どこか持っているだろうということで、明治薬科大学が放射線の専門の先生が学長や理事長の許可を得て、しっかり清瀬市に協力してくれたわけですよ。お金なんか一切払っておりません。それくらいやられた市はないと思いますよ。

以来8年間、私は市民の皆さんに喜んでいただきたい、元気になっていただきたい、幸せになっていただきたいと全力で職務に取り組んできたつもりです。そして、市民の皆さんからも元気をもらうと。喜んでいただいた声をよく言ってきてくれました。

私は就任当初から、現場力を大切にしていきたいと職員に伝えてきております。現場に力のある組織は必ずよい結果を生み出すと確信しているからであります。会社の創業社長ですから、社員が本気にならなくて、現場が主役にならなくて、そんな会社は倒産しますから。自分で十分にわかっています。

だから、社員を大事する。そうすると社員がやる気になって、いろんなことに挑戦的になってくれる。その思いのとおり、それぞれの現場が市民の皆さんの福祉の向上のため、大きな力を発揮してくれています。私はそうした現場の動きがさらに円滑になるよう、いろんなところから自ら出向き、だからナザレットにも、どういう子どもたちだろうと先ほどお話しさせてもらいましたが、多くの方々ときずなの深め、それらを結びつけることで新たな可能性をつくり出してきました。

その結果として、まちづくりの基本理念である「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」の形となってあらわれてきていると実感しております。「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて喜びに来る」、小さなささやかな喜びを心から喜び、とにかく喜びぐせをつけて清瀬市を喜びあふれる明るいまちにしていこうと、日ごろから市民の皆さんとともに頑張っております。

財政では本当に弱いまちですから、だから、気心で市民の幸せをつくっていくというようなところの勝負でもあります。

その結果として、喜びごとがどんどん清瀬市に来てくれるようになりました。今年の夏には、東京管区気象台が移ってきます。気象庁本庁から清瀬市に移ってくる。自然災害から日本を守るまちに清瀬市はなっていくはずです。

ですので、何事もそういうことの気づきが大切であります。喜びごとも気づいて喜ばなければ喜びごとにはならないでしょう。ちゃんとおつき合いを丁寧にしましたから、気象衛星センターから管区気象台が移ってきますよと。全然かかわりを持たなかったら、気象衛星センターの所長がこっちへ連絡を入れてくれなかったんじゃないかと思います。

だから、私は市民の皆さんから声をかけていただいた集まりや会合には、可能な限り顔を出し、大きな声で、たまにはうるさいと言われるときもありますが、挨拶をして、また、職場では朝、各職場を回って挨拶をしながら職員に直接声をかける。そうした中で、多くの気づきを得ていくと思っております。

結核研究所や気象衛星センターなどは、市長になって初めて訪れたことで、それまで見えていなかった清瀬市の大きな魅力に気がつくことができました。こうして自分が気づいたこと、清瀬市のとうとい魅力を一つのストーリーとして多くの人に伝え、共感してもらうこと、これも市長としての大きな、つまり市民が共感し合うということが大きな力を生み出していくと思っています。

「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」の基本理念、清瀬市と結核医療のとうとい歴史、そして最近では、清瀬讃歌など市民の皆さんの意識の中に、しっかり入っていってくれているのではないかと思っております。
きょう、いつになく傍聴が多いので、私もすごく緊張しているんですけど、まず市長の件から伺います。

三つの視点からご質問させていただきました市財政は8年間でどうだったのか。そして、また職員のやる気はどうだったのか、市民の方はどうだったのか。

財政運営は非常に好調
最初に企画部長からご答弁いただいたとおりに、財政運営としては非常に好調であると。部分によっては著しい成長というか、好成績を残しているというお話でございました。それからまた、財政運営については、アベノミクスがあったからじゃないかという、それは景気に変動されるからじゃないかとかさまざま言う方いらっしゃいます。副市長が頑張ったからじゃないかという人もいるし、だが、数字として渋谷金太郎市政の中で、いい数字を残してきたというような、これ事実ですから、これはしっかりと受けとめていかなければならないと思います。

市税収入は好転したか?
財政運営で伺いましたけども、市税収入という意味ではその数字としてどういう変化があるのか、また徴収率も含めてご答弁いただければと思います。
【答弁/瀬谷真市民生活部長】
議員ご質問のとおり、徴収率につきましては、景気の変動、それから大口の滞納繰越が収納されたというような、年によってさまざまな変化の要因がございます。ただ、単純に平成22年と平成29年の徴収率等の比較をしてみます。平成22年は徴収率が95.8%だったのが、これは滞繰分も含んでございますが、平成29年では97.9%、2.1ポイント上昇していると。金額にしますと90億9,500万円から95億600万円と4億1,000万円ほど増収になっているというようなところでございます。


徴収率がアップ
徴収率がアップした、滞納する人が少なくなってきたということですね。聞いたところによると、星野市政時代、またそれ以前の市政時代には、市政に対して反対されていて、ずっと滞納されていた方が渋谷市長になって大口の滞納分を払われたというお話も聞いてもおります。

徴収率というのは、やっぱり市政に対する一つのバロメーター、もちろん貧しくて払えないという人もいるかもしれませんが、一つの指標にはなろうかと思います。こういうことも、渋谷市政を判断する上での基準としていきたいと思っています。

現場力も向上
総務部長にお聞きしまして、ボトムアップ、現場力、26市一番の窓口、さまざまなワードを使って渋谷金太郎市政を言っていただきました。非常に現場力が上がったと。その中で、今ご答弁にもありましたように、きよはち養蜂事業ができたり、ウッドチップ、間伐材を使ってやったり、なおかつ私が非常に評価しているのは、そういうのを担う営繕係の人たちの活躍もあると。そういう意味では、非常に現場力アップしてきたというのは本当に言えるんだと思うんです。フロアマネージャーの件もそうです。

そういうことも、圧政のリーダーのもとではそういうことはないわけです。自由に現場が動けるというのは、一つはリーダーの名指揮だったんじゃないかと思っています。財政運営も組織運営についても、これはもう全部、中澤副市長がやったんだよという人がいます。そういう批判に対して、副市長どうお考えでしょうか。
【答弁/中澤弘行副市長】
役所の中の仕事は、市長から任せるよということを言われておりますので、任せていただいてはいるんですけども、いろいろ大事な場面では、一つ一つ市長とも相談しながら進めさせていただいておりますので、そういう点ではちゃんと意思疎通を図って進めております。

これはリーダー論なんですよね。要するに、実務型の市長もおられると思います。星野市長のように現場から叩き上がってきて、実務をしっかりと見ていく市長もおられるし、そしてまた民間経営者としてやってこられる方もいる。そしてまた、政治家からやって市長になられる方もいる。その手法はさまざまです。さまざまだが、ひとつ結果を見てみなければ、そのやり方があっているのか、正しいのかというのはわからない。

民間出身の経営者市長
この8年間を見たときに、私二つの指標で見ましたが、好調であるというのはこれは事実なわけです。渋谷金太郎市長というのは当然、政治家でもあるし民間経営者でもある。お聞きするところによれば、経営しておられる幼稚園も、スポーツクラブの順調経営であるということで、経営者としても一つ成功しておられるということですね。これもやっぱりしっかりと押さえていかなければいけないと思います。

行政そのものというのは、継続性であったり一過性であったり、どなたが市長になってもその一つの行政体としては継続していかなければならないということはあるので、それはもうそれなりにやっていかなければいけない。だけども、市長は何のためにやるのかと言ったらば、ひとつビジョンを、市民に対するビジョンを示していかなければいけないということが大きな役目の一つだろうと思います。

私かなり言っていますけども、市長が就任された8年前から独自路線というか、渋谷金太郎色というのは発揮されたのはトップ外交ですね。結研に行かれたり、薬科大に行かれたり、大林組に行かれたり、衛星センターに行かれたり、中でも、世界医療文化遺産を取るんだと表明をされたのは、就任当初割と早い時期からこのお話をされていたと思います。

病院のまちですから、結研は昔からあるわけで、病院も昔からあるわけですが、世界医療文化遺産ということを唱えられたのは、渋谷金太郎市長が初めてだったわけで、先ほどのご答弁の中にもストーリーという話がありました。気づきという話もありました。私も結研は知っています。だが、こういう尊い歴史までは聞き及ばなかったし、知らなかった。

清瀬の尊い歴史は以前から市民に認知されていたのか
こういう、いわゆる尊い歴史というのは渋谷市政時代から語られてきた、学習されてきた、みんな知っていたものですかね。これは企画部長、お伺いします。
【答弁/今村広司企画部長】
今、議員がおっしゃったとおり、結核のまちとか医療のまちという歴史は当然、過去からあったわけですが、どちらかというとマイナスのイメージが強かったのかなと思っています。そこに渋谷市長が就任されまして、結核研究を始めとした関連施設を訪れて、いろんな方からお話を伺って、清瀬市と結核医療のとうとい歴史というのを、清瀬市の大きな宝だと認識をして、一つのストーリーをつくり上げていろんなところで話されていることが大きな魅力に変わってきているんだろうと思います。

私も仕事柄、議員になる前は、イベントプロデューサーということで、一つのプロデュースというのは、例えば一つの商品を売るにはどうしたらいいんだろうということで計画を立てていくわけです。

そういう意味で私、議員になるときに清瀬市というところプロデュースするためにはどうしたらいいんだろうと。やっぱりこれは病院のまちというのが大きな一つの要因というか、資源というか、特徴づけなので、逆手にとって病院のまちということは健康のまち、健康推進、病気に早く気づけるまちだと持っていくべきだろうと思っていました。

でも、市長がああいうふうに言われたときに、なるほど、これは深いなと思いました。結研にしてもさっき申し上げたように、知っていましたよ、私も。それから悲田処というのももちろん知っていました。

だが、そういったことを一つ一つの部分部分を紡いでいって、一つのストーリーになってくる。なるほど、清瀬市に住んで、病院のまちに住んでいるんだろと、サナトリウムのまちだろうと言われて後ろめたい気持ちが、こういうとうとい土地に、国民、地域の方々と一緒になって、国民やまたは人類の病気の治療のために犠牲になってきたということが、すごいことなんだよとストーリーづけしてできたということは、すばらしいことだと思います。

近年の清瀬がフューチャーされた出来事
この渋谷金太郎というプロデューサーがいて、8年間の中でさまざまなトピックがありました。例えば、就任当初、東京スカイツリーができて翌年完成されて、スカイツリーをつくった、デザイン監修したのは澄川先生だよ、清瀬市の住民だよと。そして、またこれをつくったのは大林組技術研究所で、模型をいっぱいつくったんだよというところから始まって、内山グラウンドもサッカー場が整備されて、世界的な本田がやってきて、ここをベースに子どもたちに教えるんだと発表されて、そしてまた、世界の是枝が清瀬市で映画をつくってくれて、枚挙にいとまがないわけです。

これはもちろん、渋谷市長がやったわけじゃないわけだから、誰が市長になったって同じだろうという人はいるかもしれませんが、でも、さっきの気づきという話がありました。これは渋谷市長が気づいたということもあるし、何でその渋谷市長になったときにそういいことが起きてきたかと言ったら、やっぱり清瀬愛ですよね。清瀬市に対する、郷土に対する愛があり、清瀬市民に対する愛があるというところが根本要因だと思います。愛していないと気づかないんですよ。私、うちの奥さんが髪の毛切ったらすぐわかりますよ、愛していますから。髪切ったねと。気づいているということが大事なことなんです。

この愛があるがゆえに、さまざまな喜びごとが喜んでやってくるわけでしょう。こういうさまざまな吉報が、余り私もふざけたことを言うと、きょう家族が来ていますから、いつもよりおとなしめにしていますが、なってくるんだと思います。

せっかくだから、この渋谷市長がつくってくれた一つの道筋、清瀬市のとうとい遺産、歴史、物語、こういったものはやっぱりどんどん発信をしていかなければいけませんし、こういったものを子どもたちにも教えていかなければいけないと思います。

こうした清瀬の尊い歴史を教育に活かせているか?
今の清瀬市の教育では、どのような教育がなされているか、教育長にお聞きします。
【答弁/坂田篤教員長】
私は子どもたちにこういう話をします。歴史の縦軸と社会の横軸の交点で君たちは生きているんだと。私にも両親がいて、その両親にもまた両親がいて、営々脈々とした歴史の中で今、私はここで生きているわけです。

私にも家族があって、友人があって、職場があって、それで国があって世界があって、そういう社会の横軸の中でも生きている、ここを生きているわけなんです。

私はこの今、ここを生きるということを子どもたちに教えることこそが、本当の意味の教育ではないかなと思っているんです。今、お話しされたような清瀬市の非常にとうとい歴史というものを、実は子どもたち、余りよく知らないんです。なぜかというと、どうしても公立学校というのは学習指導要領という全国一律のものに基づいて、教育活動を行うからなんです。

私は、清瀬市にしかできない教育というのが必ずあると思っています。ここでしかできなくて、ここの子どもたちだからこそ学べるものというものが必ずあってしかるべきだと思います。どこの自治体もそれはあっていいと思うんです。そこをしっかり、我々のところで意識をしながら、教育活動に取り組んでいくことができるか、これは勝負だと思っているんですが、実際に我々は小学4年生でやる「私たちの清瀬」という社会科の副読本あるんですが、その中では結核研究所のことを取り扱っていますし、また、道徳の郷土資料集というのがあります。これは道徳の授業で使うものですが、これは清瀬市の歴史を含めて、あらゆる結核の研究所も、また、大林組研究所も含めて資料になっております。

ですからまさに、これは清瀬市にしかできない教育を今、進めつつあるとご理解いただければと思います。

私が子どものころは、こうしたストーリーというのは学ばなかったわけで、こういう歴史を知った上で育つ清瀬市の子どもたちというのが担うあす、5年後、10年後、20年後というのがとても楽しみだなと思います。

今、教育長からお話あったように、副読本として1週間のうちのある部分的にしか教えられないということで、なかなか残念ではあるんですが、そういった意味では渋谷市長が標榜されている世界医療文化遺産、これを掲げられて呼応する市民の方も出てきて、アカデミーの会員になられる方も出てきた。

こういうことが広まって、市民全体としてこれを目指していくところに、このとうとい歴史というものを我々は身にしみて覚えていくことができる。子どもももちろん覚えていくことができるので、ぜひこれも要望としますが、世界医療文化遺産もしっかりと行政として取り進めていただきたいと思います。

直近の三代の市長の特徴
何はともあれ、3代の市長を比べたときに、渋谷邦蔵市長というのは豪放らいらくな方だったと聞いています。私は直接、お話を伺ったことはありませんが、かわいがっていただいたうちの父に聞くと、非常に豪放らいらくな方だったと聞き及んでおります。

そしてまた、星野繁市長は非常に真面目で実直な方で、私は渋谷金太郎とともに市議になったので直接は知りませんが、見聞きしているところでは非常に真面目で実直な方だったと思っています。

そういう意味では、我らが渋谷金太郎市長は、一見、豪放らいらくそうに見えて、大きな声ですから、そういう感じですけど、実はとてもセンシティブで、そしてまた劇場型のようで物事を沈思される面もあったりして、体育会系かと思えば文化会系で、本もよく読まれるし、ここでもよく紹介されるところというのは、何も読まずにぺらぺらお話しくださって、とてもすごいなと思いますが、頭はいいわけです。

こういう2面性が誤解を生んで、豪放らいらくで声が大きくて、おはようというところばっかり強調されちゃうと、何だ、この市長、大丈夫かと思っちゃう人もいるかもしれないです。

渋谷市長は哲人政治家
でも、私、この8年間見てきて渋谷金太郎市長というのは、思いを大事にする、哲学を大事にする、真心で勝負する、素のままで勝負するという、ある意味で小細工したり、体裁を整えたりということが苦手な方で、そういう意味で哲人政治家だと私は思います。そういう哲人というのは、毀誉褒貶の嵐にさらされるんですよ、どうしても。

その中で、昨年末から今年にかけては、いよいよ改選だという時期に大変なご心労もあっただろうと思います。7万市民の安心・安全を担っての職責ですから、そういった意味では投げ出すわけにもいかない、大変なご苦労あったと思いますが、私は非常に期待をしておりますし、2020年に向けての市制50周年もしっかりとやっていかなければならない。また、市庁舎の完成も見なければいけない。そしてまた、世界医療文化遺産の結実までしっかりかじを取っていただきたいと思います。ぜひ頑張っていただきたいと思いますが、市長、何かあれば。
【答弁/渋谷金太郎市長】
いろいろと言っていただいて、ありがとうございます。僕は我欲に染まらずに学ぶ、出会いを大事にする、計算づくで出会わない、分け隔てなく出会いを大事にしていくと。そうすると、相手の人が突然のごとく、大事なものを教えてくれたり、あるいは読んでいるだけで感じるものがあるんですよ。それが自分のエネルギーになっていく。感動したときはちゃんとこういうふうに書くんですよ、僕は。

満々たる生命力で出発!一日一日、生まれ変わったように生きる。その人生には感傷もない。愚痴もない。堅実な一歩一歩が必ず偉大な使命の人生となっていく
(※聖教新聞 2019年1月6日付け「四季の励まし」)」

すごい言葉だなと思って、堅実な一歩一歩。(私は特別)偉大な人間になろうとしているわけじゃないですよ。堅実な一歩一歩を大事にしていけば、この役割にいるときはその堅実な一歩一歩が市民の幸せにつながっていくはずだと、そういう信念に思えて、ちゃんと、このままでいこうと思います。反省すべきことから反省しますが、計算づくで人とはつき合わない。



Posted by takosuzuki │