2019年10月22日

★市長の所信表明より/平成31年6月議会

所信表明より

3期目の4年間がスタート
初めに、渋谷市政も2期8年が終わり、いよいよ3期目の4年間がスタートいたします。この4年間は我が市にあって大変に大きな行事が山積をしており、例えば、明年は清瀬市制50周年行事として、さまざまな関連行事が開催されるでしょう。また、明後年から新庁舎の運用開始と、その後、現庁舎の取り壊しを経ての完全完成。その間、ごみ収集事業の戸別収集化、また、年々動員数を伸ばすひまわりフェスティバルの開催などもあります。市外においても、特に明年は東京オリンピック・パラリンピック大会の開催と、それに合わせて聖火リレーなどの関連行事もあります。

こうした目に見える大きな行事を盛大に、かつ着実に無事とり行うとともに、こうしたこととは別に、市政運営に当たり、どんな目標を掲げておられるのか。

市長は今回の所信表明で、総括的に8点のポイントを掲げておられました。それらは、これまでの渋谷市政の中で着々と成果を上げてこられた防災、健康、子育て、教育、まちづくり、産業等々の市民生活にとって大変に重要なことです。これらは市長の大方針のもと、それぞれの担当課によって事業化されていくものですし、より市民ニーズに沿った形でブラッシュアップしていただきたいと期待をしております。

しかし、所管課によって、しっかりと事業マネジメントしていかれる、これらのものとは別に、特に市長のハンドリングによって、これまで進めてきた事業、例えば、世界医療文化遺産構想や、また今回、所信表明では述べられていないが、渋谷市政3期目として、ぜひ市長にお取り組みいただきたいことをまずは提案し、ご所見をお伺いいたします。

世界医療文化遺産構想について
その一つは、世界医療文化遺産構想です。

これはこれまでの行政のルーティンワークにはない、どう進めていったらいいかわからない手探りの事業であり、とはいえ、これまで市長が先頭に立ち、着実に進展されてきたものであります。今期のさまざまな大イベントが続き、激しい市長公務の中で、この事業の進展はどうなっていくのか、一抹の心配があります。そこで世界医療文化遺産について、これまでの進捗と今後の進展目標をお聞きいたします。

障害福祉施策に注力を
もう一つは、これまで渋谷市長として、行政事業の中から、特段にこれといった注力施策がなかった中で、私としてはぜひ市長にご注力いただきたい課題が障害福祉施策であります。

先ほどもお話が出ておりましたが、先般、2月15日付の市報、「3本の木とともに」で、重度障害をお持ちの溝呂木梨穂さんの話を紹介されておられました。それは、生後1か月で脳に重度の障害を負い、体の自由と言葉を失ってしまった梨穂さんが19歳になったとき、ある方法によって言葉を表現できるようになり、詩集を出したという話でした。

折に触れ、市長はこうした障害者や生活弱者への思いを吐露されます。しかしながら、行政サービスとして具現化される施策の中に、その思いがなかなか反映されていないように感じます。

私はこれまで市長のそうした強い思いが直接事業化されないことを、万般にわたる行政事業の偏在をつくらない好ましいことであると、ある意味、評価をしていますが、ぜひ障害福祉については、少し市長の思いを反映させてもいいのではないか。市長のご所見をお伺いいたします。

市制50周年への取り組みについて
また、三つ目としては、やはり所信表明での位置づけがなかったことに、明年の市制50周年への取り組みがあります。

これも私はこれまで何度となく、50周年という佳節をただの通過儀礼にしてしまうのではなく、清瀬市にとって50周年への取り組みが、清瀬市の来し方行く末を市民に提示し、機運醸成イベントを行う中でシティプロモーションにもつながり、ひいてはシビックプライドにもなっていくと申し上げてきました。

現在、本市として50周年記念ロゴマークの公募など、着々と事業準備が進められていることも承知していますが、いよいよその前年である本年、いま少し、その位置づけを高め、フォーカスしていってもよいのではないかと思います。

以上、三つの観点からご提案、ご所見をお伺いいたします。
【答弁/渋谷金太郎市長】

世界医療文化遺産構想について
世界医療文化遺産構想の進捗と今後の進展目標ということで、清瀬市がかつて亡国病とまで呼ばれ、恐れられた結核療養のメッカであったこと、そして、結核に関して先進医療を誇る施設が今なお清瀬市にあり、清瀬市が世界を結核から守るとうとい場所であること、こうした事実を知らない方がまだ多く市民の中にいらっしゃいます。こうした事実をしっかりとPRし、多くの人たちと共感していきたいと思います。

異体同心、この気持ちがとてもいろいろ違っていても、同じ志をみんなで持つということは物すごいパワーが生まれてきますから、まずそれぞれ違っても、同じ共感の世界をつくり出していくことが大事だろうと思います。

昨年の秋からJ:COMで、各市の市長が市内をめぐる「長っと散歩」という番組を放送していますが、1回目は中央公園のここに清瀬病院ありきの石碑や、東星学園のフロジャク神父像を案内し、結核医療の歴史をお話ししました。

そして先日、7月1日から放送される分の撮影をしましたが、今回、結核研究所から日本ビーシージー製造株式会社、日本社会事業大学、特別養護老人ホーム上宮園を案内して、結核研究所では現在、世界各国からいらしている研修生の皆さんにも出演していただき、清瀬市が今でも世界を結核から守るとうとい場所であることを紹介しました。その中で歌ってもらいました。ちょっとだけ「好きだよ清瀬、好きだよ清瀬」というところだけ一緒に、最初に言葉を覚えてもらって、一緒に歌ってもらっておりますから、ぜひJ:COMをごらんになってください。

7月6日の土曜日には、今年3年目となる「世界を結核から守る KIYOSE国際会議」も開催されます。

こうしていろいろなことでPRしてきたことで共感を得て、来年度から使われる小学校の社会科の教科書に、清瀬市の結核研究所が国際協力のテーマで掲載されました。研修を主催するJICAも大変喜んでくれています。

昨年、北里研究所、結核予防会との間で個別的連携協定を締結し、3月にお会いしたフランス大使館の参事官も清瀬市を視察したいと言ってくれております。

清瀬市が世界を結核から守るとうとい場所であることを多くの方々にともに感じていただけるよう、引き続き取り組んでまいります。だめもとで取り組んでまいります。

今までほとんどお金は使っていません。私のだめもとの動きで、一つ一つ外堀をまずは埋めてきた感じです。だめもとでまだやりたいなというのは、そうだ、その前にきょうもとうとい日なんですよ。世界遺産アカデミーの会議が開かれております。清瀬市民の88歳になる小西さんが会員になっていて、そこで清瀬市の世界遺産について積極的に提言をしていただいているはずです。

世界遺産アカデミーの代表は元環境庁長官のたしか愛知さん、理事長を務められているのが毎日新聞社の元社長、それから理事のほかには、JICAの総裁だった人、それから、早稲田大学の吉村作治先生、そういった方々がつくられている世界遺産アカデミーで、その方々が清瀬市の世界医療遺産については大変同感してくれているということを小西さんからいただいております。

今年か近々に私に、世界遺産アカデミーの機関紙に何か書いてもらいたいという話も小西さんから伺っております。その話が来たら、さらにまた広まってくれるから、ありがたいなという思いでいっぱいです。

それから、これは完全にだめもとですが、都知事に東京府立清瀬病院を昭和6年に清瀬市が受け入れたことが結核と闘うまちになっていったわけですから、都知事、一緒に結核と闘ったまち清瀬市を世界遺産にするということに協力していただけませんかと。東京府が動いて、それでこういう歴史がスタートしたんですよと。それを一度都知事に申し上げようと。どうなるかわかりませんが、とにかく勇気を持って申し上げる。

それから、もう一つは今年の11月にローマ法王が来日される。それはベタニア修道女会、フロジャク神父がつくった修道女会のシスターの代表からお聞きしたんですが、ローマ法王にも、これは完全に無理だと思いますが、フランス人のフロジャク神父が、もうとにかく日本を助けているのですから、そのフロジャク神父のいろいろ闘った場所、清瀬市に来ていただけませんかと。そういうことを、そういう組織を通してベタニア修道女会から要請してもらうとか、それもだめもとでお願いしようと。

前はだって、ゼノ修道士という、やはり日本の社会事業を起こしてきた戦後、先覚者みたいに言われているポーランド人だったと思いますが、その方がいろいろな福祉施設を、寄附を募って、全国各地につくっていったという、アリの町の神父と言われていた、戦後はとても著名な人物だったらしいですよ。

その人がやはりベトレヘム病院で晩年3年入院しているときに、当時、1980年ごろにローマ法王がお見えになって、東京のカトリックセンターに呼び出しがかかったと。よくやっているとローマ法王からゼノ修道士は褒められたということもあるくらいですから、結構、とにかくだめもとで動いてみようと。そういう事例があるんだからね。

そういったことでいろいろ訴えて、お金はかけていないわけですから、私の情熱と行動だけでいいわけですから、そういうことでやっていこうと思っています。

障害者福祉について
これまでの歴史が物語っているように共生のまちだと思っていますし、市民の皆さんの心には清瀬スピリッツがしっかり根づいてくれていると思います。

以前にもお話ししましたが、駅の改札を出るときに若いカップルが、男の人が女性に、清瀬市は高齢の人や障害を持つ人が多いからかき分けて歩いてはだめだよという会話を交わしていた。その会話を聞いた人が私に、こういうふうにすごいよね、清瀬市はと。

もう一つはその人が、車椅子をバスに乗せていくときに、都内だといらいらした表情の人がいる。しかし、清瀬市ではそういういらいらした表情の人を見たことがないと。都内に住んでいて、清瀬市の施設で施設長をやっている方がそうおっしゃっていたんですね。さて、だから本当に優しさにあふれているまちだと思います。

来年はオリンピック・パラリンピックが行われますが、平成28年の市民まつりの際に行ったオリンピック・パラリンピックフラッグツアーには、清瀬市出身で車椅子マラソンのパラリンピアンである土田和歌子さんがアンバサダーとして来てくれました。土田選手から競技用の車椅子を見せていただきながら競技のお話をお聞きしたり、会場内で市民の皆さんとも交流していただきました。

さて、この前、療護園でお祭りがあったんですよ。喜望園と療護園の療護園で地域交流会で、近く周辺の老人クラブか何かであそこでお祭りをやっていたんですよ。呼ばれていましたから、ちゃんと花笠音頭を踊ったり、清瀬賛歌も歌ってきましたよ。

そうした中でちゃんと施設長が教えてくれたんですよ。車椅子に乗っている彼が、もしかしたらパラリンピックに出られるかもしれません。競技内容ちょっとメモ書きを忘れてしまったので、ではもう決まったら清瀬市全体でお祝いしますからと抱き合ってきました。頑張ってくれよと。

そういうふうに、清瀬市はいろいろな個性を輝かせているという、本当に受け入れる力のあるまちだなと思っています。だからまさに本当に共生共助、これをだから、彼が本当にパラリンピックに出られたら、もう清瀬市挙げてのお祭りをとにかくしたいなと思います。

市制50周年について
それから、市制50周年は、この記念すべき年を本市の歩み寄りを振り返りながら、市民の皆さんと大いに盛り上げたいと考えています。清瀬市にかかわりがある多くの人たちと清瀬市が持つ多くの魅力を共感し、まちに愛着や誇りを持っていただけるような記念事業を行ってまいります。そして、自分たちのまちは自分たちでつくるという都市格の高いまちを目指して、清瀬市がさらに魅力的なまちになる大きな契機としていきたいと考えています。

ですので、自分たちのまちは自分たちでつくる。何か偉そうな人を呼んできて、形式的な事業をやったって、何の意味もないと思っていますから、ある意味、清瀬市の子どもたちを主役にして周年事業をやりたいなと。よその立派な人を招いてきたって、何も意味がないんじゃないかというくらいには思っていますよ。

ただ是枝監督が残念なのは、行政とかかわりたくないと。9歳から28歳まで、ほぼ20年間旭が丘団地に住んでいて、清瀬市が世界一の映画監督を育てたんだから、本当はもうただで清瀬市で周年で話をしてもらえばいいなと思っているが、もう何か行政なんかとかかわりたくないと。残念なことだと。

だからいろいろ清瀬市に縁の濃い人たちとか、清瀬市の考え方とぴったり合うこととか、そういうことで事業をみんなで喜んで、それがもう未来へ向かってのエネルギーになっていくと思っているところです。
世界医療文化遺産登録への事業は市の事業として行うべき
午前中の議論で、もう世界医療文化遺産については終わってしまった感もあるのですが、森田議員が細々聞いていただいたんで、今回やはり市長が所信表明の8項目の中のナンバー2にこの文化構想、世界医療文化遺産登録を挙げてきていただいたというのは一つの思い入れでもありましょうし、また今回、所信表明、改選後初めての代表質問のトップバッターで森田議員がこう聞いていただいたということもあるし、そういう意味ではさっき市長がおっしゃられた外堀がどんどん埋まってきている。つまり市民理解が広まってきていることの一つのあらわれじゃないかなと私も思っています。

私ちょっと気になったのは、さっき市長が森田議員とのやりとりの中で、ダボスとデンバーに行くというね。私費でとおっしゃっていました。(※市長の答弁の中で、スイス・ダボスとアメリカ・デンバーはそれぞれその地における結核治療の中心拠点として清瀬市と同じ立場であり、そこへ私費ででも行きたいと述べた)
でもこれはやはりこれまで8年間、市長が一つの言葉は悪いですが、市長道楽としてやってきた面がある。だがこれは、もう本市の事業としてしっかりと担当課をつけ、所管課をつけ、そして担当者をつけて、これは本市の事業にしていかなければいけないと思うんです。さっき森田議員がおっしゃっていたのはそういう趣旨だと思うんですよ、恐らくね。

市民の間で署名運動をするなり、その市民への広がりをつけていく。これは本市としての取り組みなんだということを、何というか、市民を挙げてやっていく取り組みとしていくためには、いつまでもこれはもう市長だけの専有物にしておくのではなくて、これは企画課なのか、どこなのかがしっかりと世界遺産プロジェクト推進室をつくっていただいて、市長とともに、いよいよ形づくっていただくということが大事なんだろうなと思います。

清瀬の結核への貢献が教科書に取り上げられた
でも今般、市長が盛んに言われていました教科書に載せられたということは、これはすごいことなんですよというか、すごいことですよね。いわゆる日本というのはしっかりと指導要綱があって、文部科学省のつくったカリキュラムがあって、教科書もさまざまな出版社が勝手につくっていいということではなくて、教材もしっかりと文部科学省認定のものでなければ使えないとか、文部科学省認定のものであっても、各市町村の教育委員会で選定された教科書でなければ教材として使えないという、大変な制約がある中で、教科書の中にそれを入れるということのすごさということは、やはり市民としてしっかりと認識していかなければいけないですね。

いわゆる我々が、市長が盛んに言っておられる世界医療文化遺産が新聞に出ていたよというレベルの話じゃないんです、これ。もちろんそれ市長はわかっておられるし、教育部局の方はもっとわかっておられると思うんですが、今後、清瀬市としては、これが清瀬市の教材として使われるかどうかは、しかるべき公的な選定委員会を、調査委員会を経て、それで決まることではもちろんあるので、これについての言及は教育長や教育部長には求めませんが、これから選んでいただかなければいけないんだから。

だけれども、教科書に載るぐらいの尊い清瀬市の歴史というのは、学校現場で教えてもらうのがもちろん一番いいが、学校現場に限らず、今、一生懸命市長が個人で言っていただいているものを、これは市として、行政機関として、事業としてもっと広めていただく必要があるんだと思うんですね。

そういう意味では、もし仮に、清瀬市のことが取り上げられている、この教科書が、ここでこういうことを言ってはいけないのかもしれませんが、恐らく選ばれると思うんですが、選ばれるということを願っていますが、そうなっていく中で、学校現場、校長先生を初め、他市から清瀬市の教育に教えに来てくださっている教員の方々も含めて、尊い清瀬市の歴史を、これを通じてしっかりと学んでいくということが、これは言うまでもなくシチズンプライド、シビックプライドにつながっていくことだと思いますので、ぜひこの点もお願いをいたします(※残念ながら令和2年度から使用される教科書選定において、この教科書は選定されなかった)。

その意味では、一つだけ、では事業化していけるかどうかについては、市長か企画部長か、つまり世界文化医療遺産を担当課をつけて、担当者をつけて、所管課をつけてやっていけるかどうか、ひとつご所見を。
【答弁/今村広司企画部長】
組織改正は随時見直しを行っておりますので、その中で検討させていただきたいと思います。
障害福祉は市長としてこだわりを
その流れの中で、私申し上げた、もうちょっと渋谷金太郎としてこうやっていくんだというものがあっていいんじゃないかという部分で、障害福祉についてもぜひというお話をさせていただきました。

溝呂木さんのお話も大変奇跡的なお話でありまして、一般的に見れば、言葉も話せない、意思表示ができないわけだから。言葉をしゃべれなくて、表情もなくて、でもさっき言ったように、脳が破壊されていると思っていた子どもが詩集を編んだということが大変奇跡的な出来事であり、そうしたことを包括して「3本の木とともに」でご紹介いただいた。これは市長として、その障害福祉に対する、障害者または弱者に対する思いやりという部分が、世界医療文化遺産、そうしたことが根づいている清瀬市であり、そこにいらっしゃる市長のコラムとしては大変すばらしいことだったとも思います。

だからそうした思いがぜひ施策として、予算がついた形で、何かしら、これにつけてくれということは私なかなか言えませんが、そこの点も障害者には優しいんだというところをぜひ施策として具現化していただければと要望いたします。

それから、パラリンピックの件もプレイベントが今年はあります。50周年の件もそうですが、オリンピック・パラリンピックのプレイベントの中でパラリンピックに対するプレイベントみたいなことの、招致計画というか、そういったことがもしある……ないかな、あればご紹介いただきたいんですが。
【答弁/石川智裕教育部長】
イベントについては、プレと、それから既存のものとやっておりますので、今後も庁内で投げかけてやっていくことと、そのプレも生涯スポーツなどを通じて考えていきたいと思います。

なるほどなと思ったわけですが、土田和歌子さんにしろ、確かにあの方は清瀬東高校だそうで、私と同じ母校で大変誇らしいですが、そう考えれば、一つ、一本の糸で一本の線がつながってきますよね。世界医療文化遺産とパラリンピックもやり、障害福祉もやりという部分では、弱者に優しい清瀬市というのをしっかりアピールしていけるなと思います。

市政50周年をもっと盛り上げよう
それから、市長、50周年については、つまり来年、50周年なので、今年ですよ。前年である今年をプレイベントとして何か盛り上げていかないと、いきなり来年、50周年だといっても大半はオリンピックの話題で消えてしまうので、しっかりと今年から、明年は市制50周年なんだよということを盛り上げていっていただけたらと思います。

企画で検討していただいていることには、いろいろ冠事業をやっていくんだとか、いろいろあるし、さっき申し上げたように、ロゴマークの選定もしていただいたりとか、あるわけですが、ぜひ明年は50周年だというところを市民によく周知していく意味で、市報にもちょっとロゴマーク、毎回載るような冠がついたりするんでしょうし、ぜひそれもお願いしたいと思うし、来年はもちろん計画しておられると思いますが、今年からぜひ商店の街灯の下にタペストリーをつけたりとかということもあっていいんだと思うんですね。

50周年ロゴマーク
市報や市の封筒に使われている50周年ロゴマーク

オリンピック・パラリンピックと抱き合わせたら、何か東京都からそういうお金が出るんじゃないですか、そういうタペストリー製作費用ぐらいは。ぜひご検討、ご研究いただきまして、それもお願いしたいと思います。

Posted by takosuzuki │ ■議会報告/City Concil Report | シティデザイン・その他