2021年01月24日

★さくらタウンとのタイアップイベントを/令和2年12月議会

さくらタウンとのタイアップイベントを

それでは通告に従いまして、提案と質問をさせて頂きます。初めに『さくらタウンとのタイアップイベントを』についてです。

ところざわさくらタウンが先月、いよいよグランドオープンしました。オープンにあたり、マスコミでも大きく取り上げられ、コロナ禍とはいえ、土日を中心に多くの来場者があると伺っています。さくらタウンについては、清瀬市議会としてもこれまで視察に伺ったり、また私自身も、清瀬駅からの直通バスルートの提案や、何かしら清瀬市とのタイアップができないか模索をしてきました。

清瀬駅からKADOKAWAへの直通バスの運行を 平成30年9月議会

まだオープンしたばかりであり、またコロナ禍でもあり、本来見込んでいたインバウンドも受け入れられない状態で、その集客含め、さくらタウン効果が地域社会にどう影響するのか、図りかねるところではありますが、清瀬市として、この魅力あふれる施設、しかも時を同じくしてそのアクセス道路の整備も完了し、物理的な連携環境の整ったことからも、何かしらのコラボレーションを模索し、具体的なアプローチを始めていくべきと考えます。

さくらタウンとのタイアップ、まずは“石田波郷俳句大会”から
では、何をするか――。今後、様々にアイデアもでてくると思いますが、まずは、昨年、市長もお話されていた清瀬市の石田波郷俳句大会を切り口に、KADOKAWAとのご縁を深めてはいかがでしょうか。

KADOKAWAの創設者は俳人だった!!
KADOKAWAと俳句、どんな関係があるのかということですが、ここさくらタウンは、KADOKAWAのもつコンテンツを中心に、日本文化そのものを広く世界に発信しています。その発信の源が『角川文化振興財団』であります。この財団は、KADOKAWAの創設者である角川源義(げんよし)氏の遺志に基づき創設されたとのことですが、この源義(げんよし)氏こそ、まさに俳人であり、民俗学者、文学博士であったそうです。

そしてこの財団の事業内容のうち、出版事業では、月刊誌「俳句」「短歌」などの雑誌を発行し、また顕彰事業として、俳句・短歌の文芸作品のほか、日本の文学・歴史・文化等の学術研究の優れた成果に対しての顕彰を行っているとのことでした。

とうことで、KADOKAWAと俳句、どんな関係どころか、KADOKAWAの創設自体、俳句から始まったともいえ、清瀬市の石田波郷俳句大会とのコラボレーションは、全く問題なく行えることと思います。

今回、この提案をするにあたり、行政にいろいろお聞きしたところ、既に角川文化振興財団はこの大会の後援団体のひとつになって頂いており、またKADOKAWA賞も既に作っていたただいているとのことです。であれば、次のアプローチとしては、次回の開催会場として、さくらタウンをお借りするということをベースに、より深いつながりを築けるよう働きかけてはいかがでしょうか。
【答弁/今村広司企画部長】
11月にオープンしたところざわサクラタウンは、KADOKAWAと所沢市が共同プロジェクトとして取り組むみどり・文化・産業の調和による魅力な地域づくりを進める、COOL JAPAN FOREST構想の拠点施設で、KADOKAWAの新オフィスをはじめ、KADOKAWA直営の未来型ブックストア、ダ・ヴィンチストア、大小合わせて2,000人の収容が可能なイベントホール、ジャパンパビリオン、パブリックビューイングから各種発表会まで幅広く使用可能な千人テラスなど、様々な機能を備えております。

また、特に目を引くのが、新国立競技場などの設計を手がけた隈研吾氏による岩を多角形に組み合わせた角川武蔵野ミュージアムで、メインカルチャーからサブカルチャーまで幅広く配信する、まさにクールジャパンの総本山としての象徴的存在と言えます。

このような日本を代表するすばらしい施設が清瀬の間近にできたことは、清瀬市のシティプロモーションにとっても大きなプラスになると考えております。

特に、鈴木議員よりご提案いただきました俳句を切り口とした連携は、角川文化振興財団が日本文化の振興に寄与することを目的に、角川全国俳句大賞を主催するなど、俳句の普及を図っていることを踏まえますと、清瀬市が石田波郷俳句大会を通して、俳句のまちとしての定着を図っていることと基本的なコンセプトは合致しておりますので、非常に連携しやすい内容であると思います。

石田波郷俳句大会では、ジュニアの部は若手の登竜門として注目を集める新人賞がクローズアップされておりますが、鈴木議員からお話もあったように、実行委員会の方々のご尽力で、賞の一つとして、角川俳句賞も設けられており、これまでにも角川文化振興財団が発行する「俳句」という冊子に、石田波郷俳句大会の募集記事を掲載いただくなど、ご協力をいただいております。

今後も引き続きこうした連携を深めていくとともに、ご提案いただいたサクラタウンとの連携についても検討してまいります。
【答弁/渋谷金太郎市長】
補足発言、俳句について。1か月ぐらい前に、全国市町村共済会か何かの役員会があって、順番で、副会長になった。本当、不思議だったけど。でも、副会長だから役員会に出ていかなければといって、都内のどこだったかな、行ったの。

それで役員、全国から集まっていて、名刺交換したときに、松山市から来ている、愛媛県の市長会の事務局長か何かやっていたかな。それで、ああと思って話した。松山市、俳句甲子園でとても盛り上がっていますよねって。清瀬市も石田波郷俳句大会で盛り上がってきているのですよ。俳句というのはとても感じる気持ちを17文字にとにかく凝縮していく。これがやっぱり、今、昨日も教育についていろいろ話しをさせてもらいましたけれども、感じる気持ちを表現していく。これが人間を育てていく。とても大事なことになってくるのではないかなって。

だからそういうことを通して松山市の俳句甲子園と清瀬市の石田波郷俳句大会で、ちょっと何か連携していきませんかって。松山市長に伝えておいてくださいと話してきた。

まだ石田波郷俳句大会の実行委員会のほうに伝えていないから、この議場で先に言っちゃうのはまずいと思うけれども、たまたまそういう発言が出てきたから、いろんな広がりを、壁を取っ払っていけば、本来必要なもの、大事なものについてしっかりチームをつくっていく。こういうことが子どもたちをつくり上げて、本当、精神性を上げていくということになると思うので、だからそういう広がりをつくっていけば、KADOKAWAだって多分気合を入れてきてくれるのではかなと期待している。ひそかに期待しているところであるけれども、まだこれからだけどね。とにかくちょっと動いてみるから。

ありがとうございました。愛媛県は石田波郷も出身地ですよね、たしか。正岡子規と同じですね。「坂の上の雲」書かれていますけれども。

何か、清瀬市とKADOKAWAをつなげるものはないかなということで、市長が昨年、石田波郷俳句大会がいいんじゃないかっておっしゃられていたことから、そうなのかなと思ってよく調べてみたところ、実は後援団体のひとつに角川文化振興財団がもう既に入っているのですね。

先ほど来言っていただいたように、石田波郷俳句大会は俳会への登竜門であることから新人賞ばかりに目が行きがちだったのですが、実は、角川賞という賞もつくっていただいていたということで、(清瀬市とは)因縁浅からぬ仲であったわけです。

KADOKAWAの創設者も清瀬で結核治療されていた。
今回、私、いろいろ調べましたら、実は創設者である角川源義さんという方は、清瀬市の結核病院に入院されていたそうです。これまでも結核で東京病院に入院された方々を、清瀬に縁があるということで、よくフィーチャーしてきました。ただ住んでいた人だけだって、藤沢周平や、前回言った谷口ジローさんとか、いろいろ申し上げていますけれども、この角川の創設者・角川源義さんも、非常に縁が深い方だったのです。

「週刊朝日」2020年7月24日号、角川春樹さん、角川源義さんから継いだ二代目の社長であり、今日の角川まで発展させた方です。この方と林真理子さんとの対談記事によると、「父」、源義さんのことですね。「父が結核で清瀬の東京病院に入院にしたんだけど」というフレーズが少しだけあったのです。まさに、ここら辺をもうちょっとよく読んでみると、源義さんが入院していたのは石油ショックの頃とあるので、恐らく昭和48年か49年頃なのでしょうね。

石田波郷さんというのは、その前の10年前ぐらいに、昭和39年に東京病院で亡くなっている。当然その東京病院で一緒に過ごしたりとかということはもちろんなかったのかもしれませんけれども()、だけど、石田波郷さんと創設者の源義さんというのは、石田波郷さんは大正2年生まれなのですよ、源義さんは大正6年生まれ。同時代の方でしょう。源義さんは、そもそも文学にとても造詣も深くてらっしゃる。それで、角川書店をつくったのも戦後間もない頃で、自身も俳句をやられていたから、自分が俳句を、正岡子規も「ホトトギス」をつくってとか、そういう人たちの論壇の方々を発表する場として、自らが出版社をつくった、角川書店をつくったという背景がある。

だから、角川書店をつくったのも、そもそもは俳句の総合雑誌をつくるためだった。だから角川書店は、俳句の専門書店、出版社と言ってもいい。こうたどってくると、清瀬市がこうして石田波郷俳句大会をやってきたということも、不思議なご縁を感じますね。

その意味では戦後間もなく角川書店を俳句専門誌としてつくったわけだから、当然、石田波郷のことも知っていたと思います、創設者の角川源義さんは。交流があったかどうかは別にしてね。
※その後、ある方に教えて頂いたことによると、角川源義さんと石田波郷は旧知の仲で、当然、石田波郷入院中もお見舞いに清瀬に来たりしていたという。

そういう意味で、この清瀬市、そして市長がよくおっしゃられるサナトリウム、当時の不治の病であった、今のコロナどころではない。当時のこの結核という病のために、サナトリウムとして場所を提供して、その結核治療の打開へやってきたという清瀬市の由来。そこに数々の文学を生み出す藤沢周平も来た。それから、島尾先生の、市長の見せていただいた講演録によると、吉行淳之介さんも東京病院に入院して治療されたのだという文章がありました。

「清瀬・結核」ということを中心とした文学の世界ということをひもといていけば、恐らくKADOKAWAさんとジョイントして、清瀬と文学とか、結核と文学とか、そういう企画展示会なんかもやっていったらいいと思うのですよ。

石田波郷俳句大会をサクラタウンで
まず今回私が提案した、来年度の石田波郷俳句大会をサクラタウンでの開催をお願いして、もちろんコロナが収まっていればですが、またワクチンが功を奏していれば、当然できるでしょうから、ぜひそこでやっていただき、より縁を深くしていただいた暁には、清瀬と文学展を、またサクラタウンでやってもいいし、または郷土博物館の学芸員の方にご協力いただきながら、藤沢周平、もっと言ったら宮崎駿さんだって、あの方の作品には結核がいっぱい出てきますから、結核ということを人間の内面に、この文学的素養を引き出す何かしらなものがあるのだと思うのです。

武蔵野を大事にしているKADOKAWA
また、もっと言うと、今回KADOKAWAさんやサクラタウンを取材して分かったのは、武蔵野ということを物すごく大事にしておられますね、あの会社は。武蔵野台地という言葉をよく使われます。清瀬市はこの武蔵野台地に住まう我々の地域のことですから、清いせせらぎがあり、そして、その台地にしっかり根を張るケヤキが天空にそびえている。清らかな土地清瀬をもっともっとKADOKAWAに知っていただきながら、KADOKAWAとの深いつながりをつくっていければなと思いますので、これはぜひ市長のトップ外交、期待しておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。

Posted by takosuzuki │ ■議会報告/City Concil Report | シティデザイン・その他