2022年05月03日

■秋篠宮妃紀子様の清瀬ご訪問。もうひとつのドラマ

秋篠宮妃紀子様の御来臨

去る4月11日(月)、郷土博物館に秋篠宮妃紀子様がご訪問くださいました(正しくはお成りになられました)。皇室の方、特に次の天皇陛下になられる方の妃という肩書の方の清瀬御来臨は、あまり知りません。

もともと紀子様は結核予防会の総裁であられ、そうしたことから清瀬市の結核研究所にお成りになられたことはあるようで、紀子様お手植えの樹木など施設に見たことがあります。

今般、清瀬市郷土博物館で『結核療養と清瀬』なる企画展が行われていたことから、見学に来られたという訳です。

清瀬と結核――。言うまでもなく、清瀬には昭和の初めに当時の亡国病と言われた結核の療養所が作られ、今日でも世界の結核治療のメッカとも言われています。そうしたことを教えてくださったのは、亡くなった渋谷金太郎前市長です。

金太郎市長は、ともすればマイナスイメージで語られがちだった清瀬と結核ということを、“清瀬の誇り”という角度で新たに意義を与えてくださいました。

その意味で、金太郎市長にとっても“結核”というのは、清瀬市の誇りの所以(ゆえん)であり、それを内外に宣揚していくことが市長としてのライフワークでもあったのです。

今般、結核予防会総裁の紀子様が清瀬市にお成りになることが分かったとき、市の幹部職員の多くは、金太郎市長が生きておられたらどれほどお喜びだったであろうかと言っていましたし、私もそう思っていました。

そのような中で、紀子様をお迎えしたのです。

秋篠宮妃紀子様の御来臨

さて、議会には事前にお知らせ頂いており、時節柄そっとお迎えしたほうが良いのかとも思いましたが、皇室を敬う気持ちのある方をお誘いして、遠くからお迎えさせて頂きました。

定刻を少し過ぎて紀子様の車は到着し、お越しをお待ちしていた私たち市民に紀子様はそっとお辞儀をされて中にお入りになられました(一枚目の写真)。

お帰りもお見送りしようと1時間少し外でお待ちしていました。報道によれば中の展示を博物館館長の案内で一点一点丁寧にご覧頂いたようです。

出てこられた紀子様は、そのまま車にお乗りになられると思いきや、10人弱の市民の集まる私たちの方へ真っ直ぐに来られ、小学生やご高齢の方々に時間をかけて丁寧に話しかけてくださり、いよいよ紀子様のお帰りの時間が近づいてきました。

“結核から人類を守った清瀬”。金太郎市長が生前何度も言われたフレーズです。紀子様の御来臨でそうした清瀬の役割を知って頂き、親しく清瀬市民にお声掛け頂き、清瀬と結核のドラマは終わったかに思えたときでした。

――その後、思いがけないもうひとつのドラマがありました。

秋篠宮妃紀子様の御来臨

秋篠宮妃紀子様の御来臨

紀子様は、市民の方々の輪の外れにいた一人の御婦人にお声をかけられました。その方が実は先般亡くなった金太郎前市長の奥様であると知ると、一瞬驚かれ、手をとらんばかりに近づかれました。夫が生きていればどれほど喜んだであろうかと奥様が話されると、紀子様は奥様の肩に手をあてられご一緒に悲しんでくださったのです。

紀子様も昨年の11月にお父様を亡くされたばかりでした。

紀子様の金太郎前市長の奥様への労りは、ときに肩を抱くようにしばらく続きました。そしてお別れの際も何度も奥様へ振り返りながら、車に乗り込まれるまで手を振っておられました。

亡くなるまで結核と清瀬を訴えた渋谷金太郎前市長。その金太郎劇場の最後、クライマックスを紀子様が仕上げてくださいました。本当に劇的な人生を終えられた金太郎市長。

紀子様、本当にありがとうございました。

Posted by takosuzuki │ ■活動日誌/BLOG