2022年05月14日

★今後の市政運営について/令和4年3月議会

今後の市政運営について

渋谷金太郎市長のご逝去を悼む
渋谷金太郎市長のご逝去に当たり、公明党を代表し心より哀悼の意を表します。

渋谷市長は、明るい方、ヒマワリのような方でした。おなかの底から発せられる張りのある大きな声、喜びに満ちた満面の笑顔、天災や事故など、不条理なものに対する憤怒に満ちたお顔、市を動かすルーティンな実務は全て信頼する副市長、職員に任せ、市長の最大の責務は、何としてもこの愛する清瀬市を、そして市民を元気にせずにはおられない、明るい希望に満ちたまちにしなくてはならないといった気持ちがいつも充満している方でした。清瀬を愛する、そしてかの地に住まう市民を愛する、この1点は誰にも負けない市長であられました。

そうした思いから、議会の場でも、清瀬讃歌を歌い、成人式や敬老の集いなどでピアノを弾き語り、百寿を迎えられた方を抱き上げられたこともありました。形式にこだわらず、欺瞞の言葉を嫌う。心の籠もった真実の思いをぶつける。裏表のない真っ正直な方でした。そうした天衣無縫なお姿を多くの市民が愛し理解し評価していたことは、3年前の選挙結果が示すところです。本市の実務を副市長に任せていたことから、市政には関心がないなどとの声もありましたが、決してそんなことはなく、本市をよくするための知識や情報がないか、誰よりも新聞や書籍に目を通し、そしてまたそれを議会の場で開陳したり、懇談の場などでご披露いただくこともありました。何より議会での、どんな会議でも、この11年間、決して居眠りをしていた姿を見たことがありません。それは相向かいに座る私たち議員がよく知るところです。個人的な思い出は様々に去来し尽きることはありませんが、この11年間、渋谷市長が命を削ってまでなし遂げたこと、そしてなし遂げたかったことを、今後選ばれる新しい市長とともに継承し実現していきたいと決意をしています。どうぞ安らかにお休みください。

今後の市政運営について
それでは通告に従いまして公明党を代表し、提案と質問をさせていただきます。本来であれば、渋谷市長がまず目標とされていたであろう3期12年の集大成としての最後の1年、令和4年度の所信表明をお聞きし、それについてお伺いしたかったところですが、それはかなわぬこととなりました。しかしその悲しみは悲しみとして涙を拭きつつ、清瀬市は今後どうなっていくのか、そしてどうしていくのかについて考えていかなければなりません。まずは、これまでの渋谷市政を振り返り、改めて渋谷市長の功績と今後も継続していくべき市政運営の在り方についてお聞きしてまいります。

言うまでもなく今後の市政運営は、1か月後に選ばれる新しい市長と共につくっていくことではありますが、まずは渋谷金太郎市長の下で、この11年間、どういった点で清瀬市が発展したのか検証し、そしてこれから選ばれる市長にはそうした点をしっかり理解し、継承すべきところはしっかり受け継いでいただく。それができる方に市長になっていただきたい、そんな思いでお聞きをいたします。

私は、今から3年前、渋谷市長が2期の任期を満了し、いよいよ3回目の審判を受ける直前の平成31年3月議会にて、今回と同様渋谷市政の2期8年の総括として、市財政、職員のモチベーション、市民評価の3点からお聞きしました。今回も、評価基準は変えずに、本市の実務トップへ、その総括をお聞きいたします。ご所見をお伺いいたします。

【答弁/今村統括監企画部長】
私からはまず、今後の市政運営について、渋谷市政の総括で、市財政の観点からお答えいたします。

渋谷市長が就任した平成23年5月は、その1か月半前に東日本大震災があったことから、公共施設の耐震化が社会問題となっておりました。そのような中、市民の命を守ることを最優先とし、いつ起きるか分からない大地震や台風といった自然災害による被害を最小限にとどめるため、耐震性の不足が課題となっていた公共施設の耐震化を進めるとともに、防災の拠点となる新庁舎の建設を進めてまいりました。

一方、こうした多額の財政需要がある中でも、財政の健全化に努め、基金については、渋谷市長が就任する前の平成22年度末の基金残高は、財政調整基金が10億7,660万円、基金合計残高が18億1,712万円でございましたが、令和3年度末の基金残高は、財政調整基金が12億2,436万円、基金合計で35億2,568万円となる見込みであり、平成22年度末と比較すると、新庁舎の建設などがあった中でも2倍近くの残高を確保しております。これは、厳しい財政状況の中でも、民間委託の推進や未利用公有財産の売却や貸付けなど、行財政改革を進めることによって財源を確保したことによるものでございます。

また、市税収入は、平成22年度末では90億9,485万円であったのに対し、令和2年度末では99億611万円と過去最大となりました。個人均等割納税義務者も約3,000人増え、渋谷市長が重点施策として掲げていた子育て支援の各施策によって、清瀬が子育てしやすいまちであると認識されてきた結果であると考えております。

このように魅力的なまちづくりを進める中で、市税収入が伸び、同時に歳出改革を行った結果、国の示す財政指標で、将来の財政を圧迫する可能性の度合いを表した将来負担比率は、平成22年度決算が71.4%であったのに対し、令和2年度決算では41.9%と29.5ポイント改善いたしました。

また、公債費による財政負担の度合いを判断する指標である実質公債費比率は、平成22年度決算では5.0%だったのに対し、令和2年度決算では3.7%と1.3ポイント改善いたしました。

このように、住民の福祉の増進と財政健全化の両立による着実な財政運営を行ってきたものと考えております。


【答弁/瀬谷真市長職務代理者副市長】
私からは、今後の市政運営についてお答えいたします。

渋谷市長の突然の訃報は、私たち職員にとっても、とても辛いものでございました。昨年の2月22日には、中澤副市長が亡くなり、今年の2月14日には、渋谷市長までもが亡くなってしまうという、1年もたたずに、お2人のリーダーを失ってしまいました。立て続けにリーダーを失うことで、議員の皆様や市民の皆様には大変なご心配をおかけしていることと思います。

こんなときだからこそ、私たち職員は、一致団結をし、しっかりと前を向いて、清瀬市民の幸せのために、市政に取り組んでまいりたいと思います。

来月には、新しい市長をお迎えることすることになりますが、渋谷市長の遺志を継ぎながら、よりすばらしい清瀬市へと、引き続き努力をしていきたいと思います。

そういう意味では、渋谷市長の11年間の功績をしっかりと振り返るというようなことは、とても意味のあることだと思います。

渋谷市長は、清瀬市初の民間経営者出身の市長とし、新しい発想の下、清瀬市を大きく成長させてくださったと思っております。例えば、清瀬市は昔から病院のまちというようなことで暗いイメージがありましたが、結核療養とともに歩んだ歴史に光を当て、自らを投げ打って結核に立ち向かった医師や看護師などの医療従事者の心意気と、結核患者を受け入れた清瀬市のすばらしさを強調し、誇り高いイメージに変えたり、好きだよ清瀬と、清瀬のまちの情景のすてきな歌手を表現した清瀬讃歌を様々なところで、自ら演奏し、歌いながら紹介をしてくださったり、ひまわりフェスティバルでは、自ら真っ黒になりながら、雄大な自然のすばらしさを、見に来てくださる方々の安全を、ひたすら心配してくださったりしておりました。このような、渋谷市長の言動が、多くの市民の清瀬に対する郷土愛の醸成につながったのだと確信をしております。

また、お尋ねの三つの観点のうち、市財政面からは先ほど今村部長よりお答えをさせていただきました。

職員のモチベーションの観点から振り返ってみますと、渋谷市長は、何よりも現場力を大切にする方でした。現場に力のある組織は、必ずよい結果を生み出すという信念の下、本当に職員を大事にしてくださいました。朝登庁すると、まず健康センターの前で車を降り、健康推進課から、産業振興課、介護保険課と、それぞれの職場を回って、職員一人一人に声をかけてくださいました。それが終わると、本庁1階の市民課から、ぐるーっと3階までくまなく職場を回り、みんなに声をかけてくださいました。ときには、職員からの相談にじっと耳を傾けてくださり、励ましてくださったりもしました。職員からすると、本当に心強かったと今思い起こしております。

また、清掃作業員や保育士、営繕担当の職員など、現場で頑張っている職員たちにも、実際にその場に行って激励をしてくださり、いつもよくやってくれてありがとうと声をかけてくださいました。柔軟な発想の若手職員に対しても、よく話を聞いてくださり、前向きに物事が進んでいくなどの報告を聞くと、よーしよーし、その調子だと力強く後押しをしてくださいました。そんな中から、30代の管理職や30代前半の係長がたくさん出てきたのも、仕事に対するモチベーションを上げてくださった渋谷市長の人材育成のたまものだと思っております。

市民の評価という観点から振り返ってみますと、渋谷市長は、まちづくりの基本理念である、「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」を自ら実践する方でありました。渋谷市長は、市民の皆さんに喜んでいただきたい、元気になっていただきたい、幸せになっていただきたいと、全力で職務に取り組んでおられました。市民の皆様から声をかけていただいた集まりや会合には極力出席をし、あの大きな声で挨拶をし、清瀬の魅力を多くの皆さんに伝えてくださいました。清瀬のまちの中では、至るところで、とても人気者でありました。敬老大会などでは、自ら思い出のアルバムや青い山脈などのピアノの演奏をしたり、ひょっとこ踊りを自ら披露したりなど、参加された皆さんは大喜びでした。市制施行50周年の記念式典では、清瀬讃歌を自ら伴奏されたことは、私たちの記憶に新しいところでございます。

とにかく、市民の皆さんに喜んでいただき、元気になっていただき、幸せになっていただくために、努力や労力を全く惜しまない方でした。ときには、その純粋さと無垢さで、市民の方々に誤解を招くこともございましたが、多くの市民は、大きな清瀬愛を持って先頭に立って引っ張ってくださった渋谷市長の姿を見、郷土を愛するという心が高まり、清瀬はすばらしいまちだと認識をしてくださったと私どもは確信をしております。

渋谷市長が亡くなった今、「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」実現のために、誠心誠意尽くされてきた渋谷市長のこの思いを、私たちは、しっかりと引き継いでいかなければいけないと強く感じております。

市長席に飾られたひまわり

今回、渋谷市長の席には、大変にきれいなヒマワリの花が飾られておりまして、季節としてはまだ桜も開花していないこの時期に、このヒマワリの生け花が飾られているというところも、事務局がご用意いただいたんだと思うんですが、こうしたところにも渋谷市長の育まれた職員の方の一つのね、気配りの結実が見れるなというふうにも思います。

今、今村統括監、そして副市長からるる、この渋谷金太郎市長の11年間の業績、実績をご披露いただきました。この金太郎市長の印象というところだけではなくて、また数字として、事実として、しっかりご答弁いただいた。これは、今後この議事録に残すことによって、歴史にしっかり残していきたいという思いで質問をさせていただきましたので、特段これに対して私が再質問することはないわけですが、また副市長の今のご答弁も大変すばらしいご答弁で、もう、ありがとうございます。

かねて私も申し上げましたが、この渋谷金太郎市長というのは、本当に哲人、哲学の哲の人です。哲人政治家だったなと思っていまして、この哲人政治家として市長が残されたものは、市政運営におけるノウハウとか、そういったことではなくて、ある意味私は思想なんだと思っています。

それは、一つは市民、民衆、大衆こそが主役であり、その方々を元気にしていく、勇気づけていく、幸せにしていく、それが政なんだよということ。市長や副市長、そしてまた部長、課長が偉いということではないんだ。議員が偉いんだ、そういうことではない。表には見えない、陰で汗を流している現場の方々が偉いんだ、名もない職員が偉いんだ。そういう人に光を当てていく、そういう組織にしていくんだということ。そしてまた、そうした方々に報いていくためには、体裁ではなく真心で、全身全霊を使ってでも励ましていく。それがリーダーであるということ。こうした思想を、ぜひまた市長、次に市長になられる方にはご継承をいただき、そのレガシーを大事にしていただきたいと思っています。

今般のウクライナにね、ウクライナへの侵攻、戦争においても本当に思うことですが、やはりリーダー、指導者というのが本当に大事なんだなということを思います。それはこの清瀬市においても、そういうことでありまして、昨年の中澤副市長のご逝去のときにも本当にそう思いましたが、車の両輪の一つが欠落しても大変につらかったところで、また大黒柱たる渋谷市長が亡くなってしまった。今現在リーダーがいない、あるじのいない家になっていますが、一日も早い新しいリーダーというのを迎えていかなければいけない。

その市長には、この渋谷市長のレガシーを引き継いでいただき、もちろん新しい市長には新しい市長なりのやり方、カラーというのがあるかとは思うんですが、まずはこの渋谷市長のレガシーを引き継いでいただきたいと思っています。

ちょうど3年前の3月議会で、この春、その春には、もう1か月後には選挙があるというこの2期のね、3年前の選挙は大変な選挙だったわけですが、そのときにやはり私は代表質問として、渋谷市政2期8年の総括をしたわけです。

そのときに、実は、市長がご答弁いただいた内容というのが大変に何ていうか示唆的で、ここでちょっとご紹介をさせていただきます。

斉藤正彦議員の告別式の弔辞でもお話ししたように、僕は不思議な展開で政治の世界に引きずり込まれたなと思っています。ちょうど、斉藤正彦議員が亡くなられたばかりの頃で。この政治に入っていなければ、いまだ専門学校の講師を続けていたと思います。2年間で500人教えましたから5,000人は超えているんです。それぐらいの気持ちでやっていましたから市長になることは、私の人生の目標ではありませんでした。

しかし8年前に星野前市長から、後継者として指名されて覚悟しました。残りの人生公のために差し上げますと誓って、市長選に挑みました。そして東日本大震災で日本中が混乱する中、市長に就任しました。

大変でしたよ。放射能でみんな脅えていて、市長会の決定では、国都の動きを待とうということでそれを守らなければいけないんだと思って苦しかったです。でも病院のまちだし大学のまちだし研究所もあるし、どこか、放射能測定器のことですが、どこか持っているだろうということで、明治薬科大学が、放射線の専門の先生が、学長や理事長の許可を得て、しっかり清瀬市に協力してくれたわけです。お金なんか一切払っていません。それくらいやれた市はないと思います。

以来8年間、私は市民の皆さんに喜んでいただきたい、元気になっていただきたい、幸せになっていただきたいと全力で職務に取り組んできたつもりです。そして市民の皆さんからも元気をもらうと喜んでいただいた声をよく言っていただきました。

私は就任当初から現場力を大切にしていきたいと職員に伝えております。現場に力のある組織は必ずよい結果を生み出すと確信しているからです。会社の創業社長ですから社員が本気にならなくて現場が主役にならなくて、そんな会社は倒産します。自分で十分分かっています。だから社員を大事にする。職員を大事にする。そうすると社員がやる気になっていろいろなことに挑戦的になってくれる。その思いのとおり、それぞれの現場が市民の皆さんの福祉向上のために、大きな力を発揮してくれています。そうした現場の動きが、さらに円滑になるよう、いろいろなところに自ら出向き、多くの方々との絆を深め、それらを結びつけることで新たな可能性をつくり出してきました。

そう、まだあるんですよね。これは1回目の答弁で、その後また私も、るる申し上げて、最後にご答弁された内容が、最後に市長何かありますかということで、ご答弁を求めたところです。

僕は我欲に染まらずに学ぶ、出会いを大事にする、計算ずくで出会わない、分け隔てなく出会いを大事にしていく。そうすると相手の人が、突然のごとく大事なものを教えてくれたり、またあるいは読んでいるだけで感じるものがあるんですよ。それが自分のエネルギーになっていく。感動したときは、ちゃんとこういうふうに書くんですよ僕はと言って、手帳を出したんです。手帳を出しながら読まれたのは、満々たる生命力で出発、1日1日生まれ変わったように生きる、その人生には干渉もない、愚痴もない、堅実な一歩一歩が必ず偉大な使命の人生となっていく。あるこれは新聞に書かれた、エッセイをご自分で感じられて手帳に書かれた。すごい言葉だなと思って、堅実な一歩一歩、私は特別偉大な人間になろうとしているわけじゃないですよ。堅実な一歩一歩を大事にしていけば、この役割にいるときは、その堅実な一歩一歩が市民の幸せにつながっていくはずだと。そういう信念に思えて、ちゃんとこのままでいこうと思っています。と、こういうご答弁でした。

こうしたこれらの市長、また今るるご答弁でご披露いただきました業績をしっかりと、今ご紹介しました、この言葉を、新たな我々の指標として、遺言と思って、これからも、私たち議員の立場から市政運営に関わっていきたいと思っていますし、新しい市長になられる方にも、ドラスチックに清瀬市を変革していこうということではなくて、現場を、職員を大事にして、新しい、焦らず堅実な市政運営をお願いしたいと思っています。

市長に関しては、以上で終わります。

Posted by takosuzuki │ ■議会報告/City Concil Report | 行政改革